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終了報告

 投稿者:藤森治子  投稿日:2018年10月28日(日)02時53分46秒 120-51-91-4.nagano.fdn.vectant.ne.jp
返信・引用
 

10月 9日(火)0時、ハンスト終了しています。
10月10日(水)正午、ハンスト・イン終了しています。
10月16日(火)0時、ハンスト終了しています。
10月23日(火)0時、ハンスト終了しています。

また終了報告を溜めてしまいました。今日は頑張って書きます。

先月「君たちはどう生きるか」(岩波文庫)についてちょっと書きましたが、読了しました。これが2度目、正確には2度目半だったのですが、後半はまるで新しい作品を読んでいるようでした。読後の感慨に満たされて、心豊かな日々を過ごしました。

いろいろ調べてみると、「君たちはどう生きるか」は今ミリオンセラーで、出版界の話題の書のようです。昨年マガジンハウスが、これを漫画化して出版してから、一気に広まり、現在マガジンハウスの漫画版200万部、その小説版50万部という盛況です。また、本家の岩波文庫版は、1982年に文庫化して以来重版で、マガジンハウスの漫画と並行して144万部売れているそうです。二重に買っている人があるかもしれませんが、出版社を超えて、延べ約400万人の人が読んでいることになります。これはやはり、驚くべき出版現象と言えると思います。

更に、この作品は、新しい作品ではなく、戦争前夜の1937年、約80年前に書かれ出版された古典だという点も注目すべきところです。80年前の戦争前夜に、治安維持法で1年半も投獄されていた吉野源三郎が、反戦のこころを秘めて少年たちに語った作品です。「君たちはどう生きるか」のブームを作ったのは、何といっても、「漫画化」ということでしょう。これで一気に若い層の読者を獲得したといっていいでしょう。親や先生が子どもに買ってやったということもあるようですし、漫画を見て、或いはブームの気配で懐かしく思って再読した人もいるかもしれません。

それに、岩波文庫版の最後には、丸山真男が、ー吉野さんの霊にささげるーという副題で、極めて珍しい個人的な回想を書いているように、今でも例えば昨年末、池上彰がNHKの「100分de名著」で取り上げ、宮崎駿は、「君たちはどう生きるか」というアニメを作る予定とのこと。80年の間には、多くの人々を魅せてきた作品であったといえます。

このように、漫画化や著名人の推薦など好条件で、「小難しい」と思われる哲学的作品がミリオンセラーになっているわけですが、そのような出版を誘い、ミリオンセラーを呼び起こす時代的背景を見逃すことはできないと思います。この数年、民主主義を土足で踏み荒らし、戦後私たちが築いてきた制度や文化や憲法を蹴散らして狼藉をはたらく安倍政権に、大人も子どもも、心ある人々はみんな怒りをもって対処してきました。そして、そこに、この前の戦争前夜に似た雰囲気を感じ取っていたはずです。

また、市井の普通の人々も、森友・加計事件であからさまになったように、総理をはじめ権力の座にいる政治家が、政治を私物化し、官僚も国民の官僚ではなく、権力を忖度する奴隷化してしまい、器用に世渡り上手く、強いものには弱く、弱い者には強い人間が「得」をする風潮をを苦々しく思ってきた、真面目で、実直で、時には不器用な、普通の人間、時には権力の犠牲にさえならなければならない普通の人間の苦々しい気持ちが世にあふれてきた結果、ふとある日立ち寄った本屋で「君たちはどう生きるか」を手に取ってみることになった・・・、子どもたちにはこんな社会で生きさせたくない・・・、そういう気持ちが日本中のあちこちで起こり、400万人の人々が「君たちはどう生きるか」を読むことになった・・・。このブームの背景にはそういう政治状況、その政治状況が生み出すすさんだ人間からの回復の希求があったと思います。

さて、それほどのブームを起こす「漫画」を、私も読んでみました。ほぼ原作に忠実ですが、やはり叔父さんのノートは漫画にはできないので文章のまま載っていました。ただ、最後から2つ目の「水仙の芽とガンダーラの仏像」が何故か完全にカットされていて、それがとても残念でした。この章を読んで私は本当にびっくりしました。再読にもかかわらず、最初の時には気づかず、心にも引っかからなかったことが書いてありました。それは、「ガンダーラの仏像を作った人々は、相当長い間東洋の空気を吸い、仏教の気分に浸っていたギリシャ人であった」というところです。私はもうじき80年近く生きることになるのですが、仏像を最初に創ったのはギリシャ人だったとは知りませんでした。それは、仏像の頭髪にその名残が残っているというのです。インド人、または、仏教徒なら頭は剃髪しているし、お釈迦さまも剃髪したと経文に書いてあるとのこと。あのくるくる巻いた仏像に髪の毛。あれがギリシャ文化の名残だったとは!

これまで、まったく意識もせず、疑問にも思わず、無関心に仏像を見てきました。何ということだったのでしょう、この80年は。このことを知った翌日は、一日図書館でその辺を調べて、幸福な日を過ごしました。ガンダーラって、中村哲さんが灌漑用水をつくったペシャワールの近辺らしいということもおまけで知りました。

この他にも、いくつかのエピソードが出てくるのですが、改めて、当たり前のことを、当たり前と思って、深く考えなかったことを痛感しました。たとえば、ニュートンがりんごが落ちるのを見て万有引力を発見した考え方のプロセス、コペルニクスが地動説を唱えたけれど、人間の思想の生長も、すべてを自分を中心に考える天動説的地平から、損得を抜きにして、他者や宇宙や社会を、地動説的に考えることの大切さ、等々アッと思うような発見が沢山ありました。「君たち」は若くなくても、人生を生きてきたからこそ、「そうなんだ」と思うような発見がある書物でした。

 
 

10tukino「9の日ハンスト」終了しました。

 投稿者:高田眞佐子  投稿日:2018年10月10日(水)14時57分8秒 zaqdadcd823.zaq.ne.jp
返信・引用
   10月の「9の日ハンスト」終了しました。 夕方、私たちの町で、いつもの、「9の日行動」に参加しましたけれど、あたりが、つるべおとし、というのでしょうか・・・・暗くなったこともあって、帰りをひたすら、急ぐ人の波に、かきけされたかんじ、受け取る人もまばらでした。でも、沖縄の知事選の応援に、行っていた人が、きてくれて、「開票直前まで、応援事務所はくらかったの。負けた時どんな運動を展開して行こうか、みたいな話ばっかりでていたの。それが、当確がでて、みんな、涙、涙よ!」と言っていらっしゃいました。私たちもあきらめてはいけないんだ、とおもいます。  

終了報告

 投稿者:藤森治子  投稿日:2018年10月 6日(土)00時45分29秒 163-139-243-181.nagano.fdn.vectant.ne.jp
返信・引用
 

9月10日(月)正午、ハンストイン参加終了しました。
9月18日(火)0時、ハンスト終了しています。
9月25日(火)0時、ハンスト終了しています。
10月2日(火)0時、ハンスト終了しています。

すっかり終了報告を溜めこんでしまいました。この間に、自由民主党総裁選挙があり、安倍さんが3選を果たし、沖縄の県知事選があり、玉城デニーさんが翁長前知事を継承して新知事に選ばれました。

新内閣が組閣されましたが、なんと新鮮味が乏しいことか。衆参合わせて400名を越える議員がいながら、自民党にはこんな人材しかいないの?メデイアでは「在庫一掃閉店セール」内閣などといっていますが、私は「加齢臭」内閣とでも呼びたいくらいです。ほとんどが60~70歳代で、50歳代は4名だけです。これは、日本中の組織がそうですが、「男で、歳くっている」ことが「長」の条件なのですね。これじゃ、日本のすべてが停滞するはずです。

でも、若ければいい、というわけでもありません。文科大臣になった柴山昌彦氏は52歳で閣僚の中では最年少ですが、実に危ういひとです。すでに教育勅語を容認するかのような発言をして、問題になっています。過去の発言や書いたものから、戦時中の朝鮮人の強制労働や南京虐殺を否定しています。それらの発言から、歴史修正主義者といっていいと思います。若くて新しい教育をうけてきているはずなのに、こういう道をたどってしまうのは、一つに、安倍さんの思想への忖度からでしょう。他の省ならともかく、文科省のトップが歴史修正主義者では、その悪影響は計り知れません。しっかり監視していく必要があります。

どなたか数字に詳しい方が、「日本会議占有率」なるものを計算してくれました。それによると、国民全体では日本会議は0・029%で、その影響は微々たるものですが、新内閣では73・6%がその影響下にあるといいます。国民と自民党議員の意識の違いがよくいわれますが、その差の多くが、日本会議の影響をどれくらい肯定しているかによるものと推察されます。

時代の転換期にあり、アジアや中国の大学が国際的にも高く評価され、ランキングも上がっている時代に、日本会議の影響下にある安倍さんの趣味で復古主義で教育を変えていこうとするならば、それは墓穴を掘るようなものです。そして安倍趣味に迎合して、若い文科大臣が同じ穴を掘るとしたら、日本は没落への道を駆け下りることになってしまうでしょう。

鬱陶しく明りの見えない日々ですが、それでも沖縄では辺野古基地にNOという候補者が当選したし、過去に教育に力を注いできた結果としてノーベル賞受賞者が登場するし、あまりに杜撰で人権を無視する雑誌「新潮45」を休刊させるくらいの民主的な力は、まだ私たちにはあるということがわかって嬉しく思いました。来年の参議院選挙では、自民党はじめ9条改憲勢力に、国会発議の3分の2議席は与えない、そういう決意で臨みましょう。

 

9月9日正午~10日正午までの「9の日ハンスト」終了しました。

 投稿者:高田眞佐子  投稿日:2018年 9月10日(月)15時45分54秒 zaqdadcd8d8.zaq.ne.jp
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   9月の「9の日ハンスト」終了しました。私たちの町の「9の日行動」は9日が日曜日でしたので、午前中、11時から、45分間、私線の駅頭でしました。9日が日曜日か土曜日かのときはそうしてきたのです。その9日は、朝から、土砂降り。「どれだけ降ったら気が済むねん!雨天決行って書いてあったしな…行かな、しょうない!みんな阿倍のせいや!」とブツブツ独り言を言いながら行きました。ありがたいことに、チラシ配りを始めると雨が上がり、受け取りは相変わらずわるいものの、行動しおえました。 珍しく、チラシを受け取ってくれた一人の青年が、立っている私の目の前の柱を下敷きに、何か、一生懸命書いていました。書き終えると「読んで」といって何かを書きこんだチラシを返し、さってゆきました。読んでみると、「迎撃用なら、ミサイルを持ってもいいのではないか。」とか、「与党なのだから、ある程度は強硬してもいいのではないか。」「あの日、宴会をしたのは、自民だけではない。立憲民主党もしていた。」等々、世の中のことに、無関心ではないのだなぁと思わせられる書き込みでした。直接対話することを避ける人が増えているという話を最近、耳にするけれど、そうなのか、とおもいました。「言いたいことがあるんやったら、私ら、おばさん、おばぁさんに言うてくれたらええのになぁ…。」といいながら、この日は、解散しました

 

終了報告

 投稿者:藤森治子  投稿日:2018年 9月 6日(木)19時24分59秒 220-158-60-36.nagano.fdn.vectant.ne.jp
返信・引用
 

9月4日(火)0時、ハンスト終了しています。

石破茂さんがこんなに真面に見えてくるとは予想もしませんでした。

「デモはテロだ」とか、安倍政権の幹事長として、沖縄の自民党国会議員をあのやぶにらみでねめつけて、「辺野古基地へ移転賛成」といわせた人ですよ。自民党の防衛族として国防軍をつくり、徴兵制をしき、「兵役しないと死刑」などと言った人です。

まあ、半分冗談もあるけれど、タカ派としての本心もあるでしょう。けれども、安倍首相のあまりの出鱈目を経験した今となっては、石破さんがいい人のように思えてくるから不思議です。与えられた選択肢が二つで、他に私たちには選ぶものがない、このままいけば、またアベが続くことになりますから、相対的に考えるより仕方がありません。

石破さんの方がましと思う点は2点あります。一つは石破さんの育ってきた家庭環境です。安倍さんが岸に代表される根っからの右翼でタカ派で、冷酷なところがあるのに対して、石破さんは同じタカ派でも、曾祖父(とても変わった人です)が救世軍の社会鍋を始めた人で、一定のヒューマニストでもありました。だから石破さんも今でも讃美歌を歌い、聖書を読むクリスチャンだそうです。クリスチャンだからいいというわけではないけれど、安倍さんの底知れぬ虚言癖や裏切り行為をみていると、あれよりはるかにましだろうと思うのです。

もう一つは石破さんの知の力です。安倍さんが交通ルールも身につけず、免許も取らないで車を暴走させているのに対して、少なくとも石破さんは交通ルールは十分知っており、免許も持っています。行先は違うかもしれませんが、少なくとも安全運転です。違う目的地へ行く時は、きっと相談してくれるでしょう。つまり、石破さんは、人類の叡智としての民主主義や、立憲主義を尊び実行することは当然と思っている知性はあるということです。

以上2点で、この際石破さんの方がましと思います。その実力は未知数ですが、他に選択肢はないのですから・・・。野党は今再編の苦しみの中にありますが、今日本の岐路、非常事態にあることを察して、発想の転換をしてくれればと思います。首班指名で各党首の名前を書くのが普通ですが、そしてそれは当然でしょうが、再び誤った道を日本が進まないために、今回だけは「石破茂」と書いてはもらえないでしょうか。それが、今私たちに出来る、「いつか来た道」へ行かない唯一のことなのです。多くの国民の喫近の願いは「安倍総理大臣を辞めさせてもらいたい」、これだけなのです。

 

終了報告

 投稿者:藤森治子  投稿日:2018年 9月 3日(月)22時42分50秒 163-139-242-73.nagano.fdn.vectant.ne.jp
返信・引用
 

8月28日(火)0時、ハンスト終了しています。

ハンストしながら、例によって、先週のハンストの終了報告です。

この国では、全てを「本質から考える」という基本的で当たり前のことが蔑ろにされてきました。例えば、パラリンピック。盛大にパラリンピックをやるということは結構なことだが、何のためにパラリンピックをやるのかということが一度として本気で考えられたことはないのではないか。

先日明らかになった障碍者雇用促進法による国の雇用が、水増しされて、6900人雇用しているとしてきたが、実は約半数以上の3460名が水増し分で、不正は国税庁1022人、国交省606人、法務省539人などと・・・。

オリンピックの選手は一程度練習に専念できる体制はある(マイナーな競技などでは満たされないこともあると思うが)。障碍者の場合は、仕事をしながらパラリンピックを目指します。だから障碍者スポーツと障碍者雇用とは一体です。その障碍者から3460名分もの雇用を奪って、「健常者」に割り当てていた・・・!そんな国が2年後にパラリンピックを行うなんて、「冗談でしょう」といいたくなります。まず、雇用を保障することが、パラリンピックへの第一歩でしょう。

今更だが、余裕も資格もないのに、オリンピック、パラリンピックを日本は引き受けるべきではなかったと思う。この酷暑の夏の日々にオリンピックなんて、狂気の沙汰だと思ってきました。2020年以降の日本を想像すると、1945年の日本の焼け跡に重なってみえてきます。すべてを食い尽くし、荒らし果てた後に、一体どんな国や政治が待っていることでしょう。

 

終了報告

 投稿者:藤森治子  投稿日:2018年 8月27日(月)17時42分17秒 115-179-94-230.nagano.fdn.vectant.ne.jp
返信・引用
 

8月10日(金)0時、12時間早く始めたハンスト・イン、終了しています。
8月14日(火)0時、定例ハンスト終了しています。
8月21日(火)0時、定例ハンスト終了しています。

サボっていた3回分の終了報告を、またハンストしながら書いているという次第です。

自民党の総裁選は「9月7日告示、20日投開票」とのことですが、すでにメデイアは安倍3選で決まったかのように報じています。とにかく気分の悪いことです。

石破氏が「正直、公正、謙虚 丁寧」な政治を目指したいと述べたことに、身内の自民党から、「個人攻撃になるからやめて欲しい」というクレームが出たらしい。「正直、公正」を目指すことが、何故に「個人攻撃」になるのか。「安倍さんは嘘つきで、正直とは言えないし、お友だち贔屓をするから公正とはいえないなあ。だからその言葉を使ってもらっては困る」と思っている自民党員がいるということでしょう。そういう「困ったちゃん」を、それと知りながら、投票する自民党員というものは、一体何もの?

「正直、公正、謙虚 丁寧」なんて、リーダーでなくとも少なくとも公の仕事をせんとする人にとっては必須事項だけれど、そこから始めなければならないところに、自民党の堕落があるのだと思います。しかも「正直、公正、」は使ってはならないという「禁止令」が出たとなると、一体どんな恐怖政治が敷かれているのかと想像してしまいますが、これには別の訳がありそうです。

参議院の自民党竹下派は石破氏に投票するとのこと。参議院自民党幹事長の吉田博美氏は長野県区選出の議員です。彼は竹下派に恩があるのでイヤイヤ石破氏を応援していますが、根は「安倍派」です。しかも、来年の参議院選挙は、長野県区は2人から1人に減ります。これまでは、自民と民進で1人づつ分け合っていたのですが、1人に絞られますから、追い詰められているのです。相手は羽田雄一郎(世襲・国民民主)で、善し悪しは別として、ネームヴァリューは羽田の方があります。1昨年の参議院選では、安倍さんが2~3回も選挙応援に来たのですが、若林健太(世襲)自民候補は落選、民進の杉尾氏が当選したという土地柄です。吉田氏も、安倍に投票したとなれば、まず長野県区では当選できないでしょう。それを自覚しているからこそ、「正直、公正」は「個人攻撃になるからやめて欲しい」などという世迷い事をいって安倍にヨイショするのは、比例で優遇して欲しいということでしょう・・・。まったく、呆れ果てます。

 

8月9日正午から10日正午までの、「9の日ハンスト」終了しました。

 投稿者:高田 真佐子  投稿日:2018年 8月10日(金)15時45分59秒 KD182251154010.au-net.ne.jp
返信・引用 編集済
  参加報告、BBSの方にしなかったようで、申し訳ありません。とにかく、8月の「9の日ハンスト」終了しました。一昨日は、翁長知事が亡くなったというニュースに、愕然としていました。大変なストレスの毎日で、寿命を縮められたのだと思います。安倍政権の冷酷さをかみしめています。この冷酷さは、私達、国民、一人一人に向けられたものなのだと、思っています。 9日の夕方、3000万署名をしてもらおう、と「9の日行動」をしました。高校生や中学生の、男子が、ちょっとふざけ半分だったけど、署名してくれました。なんのための署名だったか覚えていてくれますように!

ガ
 

2回分の終了報告

 投稿者:藤森治子  投稿日:2018年 8月 7日(火)01時56分6秒 120-51-95-2.nagano.fdn.vectant.ne.jp
返信・引用
 

7月31日(火)ハンスト終了しています。
8月 7日(火)0時、たった今ハンスト終了しました。

女性差別は、人類最後の「植民地」といわれるほど、長く根深いものがあります。東京医大の入試で、女子受験生が減点されて不平等な合否判定をされていたというニュースを聞いて、差別はなくなったわけではなく、むしろ深く隠れるようになったのだという思いを新たにしました。

「・・・。但し、男子学生に限る」これが、私が大学を卒業する頃の求人情報で必ず書かれていたことでした。今から50年以上も前のことです。女子学生には大きな民間会社の採用試験を受ける資格すら拒否されていたのでした。女子学生が少なかったこともあり、会社も大学も学生運動をした学生たちも、だれもそのことを差別とは感じていないようでしたが、これが私が人生で初めて出会った社会的差別でした。当の女子学生は、それ相応の学力を活かすことができる職業といえば、唯一公務員だけでしたから、差別を深く心に刻みながら、大抵は教職などへ流れていったのでした。私もそういう一人でした。

「男女雇用機会均等法」が制定され、実施されたのは、それから約20年後の1985年のことでした。これによって初めて会社は「・・・。但し、男子学生に限る」と書くことが出来なくなったわけです。あからさまな差別はできなくなった分、差別は深く隠れ、巧妙になってきたといえるかもしれません。

例えば、教師は、女性の専門的職業分野としては一番古いので、それなりの闘いの歴史があります。女教師の存在が、「点」であるうちはすべては個人の問題として片付けられます。これが「面」となった時、つまり一定数に増えたとき質的変化が起こります。そして、制度を変えるような運動になっていくのです。それが「男女雇用機会均等法」だったのです。でも質的には、まだまだ制度的に設けなければならないことはたくさんあります。

それにしても、今回の大学医学部に受験の段階で、こんなあからさまな女性差別があるとは、驚きです。差別はこんな具合に隠れていたのか!いわゆる先進諸国でも、十数ヵ国のテレビ局が驚きをもって報道したくらい異様なことです。他の医学部でもありうるかもしれないし、それは医療の現状を考えると「仕方がない」と言う識者もいます。でも、それはすべて詭弁です。

出産・育児・家事と仕事をどのように両立させるかという課題は、新しいようで古い問題です。私が教師になりたての頃は、教壇で出産をむかえてしまったという話、職員会のお茶くみは女性の仕事とか、女性には担任はさせない、等々今女性の医師たちに突きつけられているのと同種の問題がありました。仕事と子育てが両立できるように、少しでも働きやすいように人権に基づいた制度的な改革がまず必要です。それは女性の問題ではなく、社会の問題だからです。

今回のアナクロニズムのような医大の女性差別も、医師を目指す女性がそれだけ多くなり、受験生も必然的に多くなり、優秀でもある。今ある器の中で、問題を解決しようとするから、世界が驚くような姑息な差別でしか対応できないでいるのです。「夜間の当直、当直明け外来、外来終わったら病棟、土日も病院、みたいな激務は女医には向いてないって主張散見しますが、よく聞いてください、男性医師にも向いてない」とどなたかが呟いていましたが、その通りです。むかし、学校には宿直という夜間勤務があり、男性教師がそれにあたっていました。女性が増えるにしたがって、日直(日曜日の学校お留守番)がすべて女性に押し付けられました。日曜日が働く女性にとって家事・育児など、どれほど貴重な日であるか大反論があり、結局、県の高校教育課は、宿直も日直も廃止することにしました。女性の負担を軽減することは、結局、男女全てのひとの負担を軽減することになる好例です。

出産をになう女性が働きやすい医療の現場の制度設計を見直す必要があります。今回のことは、現象としては非難されるべきことですが、これも女医を目指す人が「点」から「面」に増加したから噴き出てきた問題でしょう。社会の変化は、時にスローでやり切れないものがありますが、人権が大事にされる限り、行きつ戻りつしながら、やはり前に進むのだと思います。個人的なことですが、私の主治医は3年前から女性です。女性でなければわからないような体の微妙な問題についても相談にのってくれるし、話しやすいしで、私は非常に満足しています。もっと女医さんは必要です。若い女の子たち、挫けず、頑張れ!

 

終了報告

 投稿者:末延芳晴  投稿日:2018年 8月 6日(月)23時03分42秒 softbank126091120235.bbtec.net
返信・引用
  報告が大変遅れて恐縮ですが、5月と6月と7月の「9の日・9条・ハンスト・イン」、いずれも終了しています。

73年前の今日、すなわち1945年8月6日午前8時15分、人類史上初めての原爆が広島に投下され、推定で9万から12万人の広島市民が
犠牲となって亡くなられました。

亡くなられたすべての犠牲者と、そのあと原爆症に苦しみ命を落とされた方々のご冥福を祈るとともに、一日も早く原爆のない世界が実現することを願ってやみません。

ところで、73年前の8月6日、爆心地より1.2キロ離れた実家の便所のなかで用を足しているときに被爆、本来なら即死していてもおかしくなかったのにもかかわらず、便所が狭く、四方が壁と扉に挟まれていたことで、一命をとりとめた小説家がいます。1932(大正12)年に慶應義塾大学文学部を卒業し、「三田文學」に小説や詩を発表する中、広島市内の実家に疎開してきて被爆し、その時の体験を『夏の花』という小説にまとめた原民喜という小説家です。

その原民喜の原爆体験と、1910年の4月から1915年の4月まで、原が卒業した慶應義塾大学文学部のフランス語とフランス文学の教授として後進の指導に当たっていたことがある永井荷風の、同じ45年3月10日、日、米軍機による空爆で家(偏奇館)を焼かれ、焦土をさまよい、九死に一生を得た体験は、共に、この世の終わりに等しい地獄を体験し、それぞれにその体験に基づいて、一方は『夏の花』という小説を、もう一方は、『断腸亭日乗』という日記を書き残したことで共通し、呼応しあっているように見えます。

この直接的には関係のないまま、戦争がもたらした黙示録的地獄を体験した二人の小説家の「呼応」し合う関係性について、先週、ようやく書き上げ、今年の12月に集英社から新書として刊行予定の『慶應義塾大学部文学科教授・永井荷風-もう一つの顔』の最終章「永井荷風が慶應に残したもの」のなかで、以下のようにまとめてみました。興味のある方は読んでみてくください。

*****************************

永井荷風の空襲体験と原民喜の原爆体験

 さて最後に荷風の直接的影響というわけではなく、ある種の結果的共鳴、あるいは呼応という形で、荷風が慶應義塾文学部のために残したものとして触れておきたいのは、昭和二十(一九四五)年の春、荷風が、米軍機の空爆による未曽有の大空襲によって被災し、偏奇館を焼かれ、蔵書の全てを焼失し、着の身着のまま焼け野原をさまよったことと、それより五か月後の八月六日、昭和七(一九三二)年に慶應の英文学科を卒業し、詩や小説を「三田文學」に発表していた原民喜が、疎開していた広島市内の実家で、同じく米軍機による人類史上初めての原爆投下で被災し、家を焼かれ荷風と同じように着の身着のままで、焦土化した市内をさ迷い歩いたことで、二人が共に地球の終焉を思わせる地獄を体験 したこと。そして、それぞれの悲惨を極めた体験・見聞とそのときに抱いた思念や感懐を、荷風は日記『断腸亭日乗』に、民喜はカタカナ書きの詩『原爆小景』や小説『夏の花』に書き残したことで、本人たちの意志を越えて二人がつながることである。

 永井荷風と原民喜は、原が慶應義塾大学文学部に入学したのが大正十三(一九二四)年と、荷風が慶應義塾文学科教授を辞任したときより八年ほど遅れているので、直接的師弟関係はない。また、生涯を通して、社会の周辺/底辺、あるいは外側に生きる芸妓や娼婦、私娼婦とのみ性的関係を有し、前述したように慶應義塾の文学科教授時代に、堅気の商家の娘と結婚したものの、新婚生活と同時進行で二人の新橋芸者との交情に溺れ込み、結局半年足らずで新妻を離縁。さらにそののち、新橋芸妓の八重次と再婚するものの、半年後に八重次が家出をし、結局離婚。以来一度も結婚しなかった荷風に対して、原は、見合い結婚ではあるものの、同じ広島県出身で、奇しくも荷風と同じ姓の永井貞恵という女性 (のちに文芸評論家となる佐々木基一の姉)と結婚、深い愛の関係で結ばれている。

 しかし、原民喜をして、「私の書くものは殆ど誰からも顧みられなかつたのだが、ただ一人、その貧しい作品をまるで狂気の如く熱愛してくれた妻がゐた」(「死と愛と孤独」より)とまで書かせたその妻は、昭和十九(一九四四)年、糖尿病と肺結核で死去。それまで献身的に看病に努め、臨終を看取るなどして愛の関係を貫き、死後、貞恵との思い出を『忘れがたみ』、そのほか、いくつもの回想記やエッセイに書き残し、最後は先だって逝った妻に殉ずるようにして、鉄道自殺によって自らの命を絶った原民喜は、人間的資質から文学者としての生き方、さらには書き残した作品から表出されてくる世界そのものも、荷風のそれとは百八十度違っている。

 にもかかわらず、「鎮魂歌」に詠われた「僕は堪えよ、静けさに堪えよ。幻に堪えよ。生の深みに堪えよ。堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ。一つの嘆きに堪えよ。無数の嘆きに堪えよ。嘆きよ、嘆きよ、僕を貫け。帰るところを失った僕を貫け。突き放された世界の僕を貫け」という、悲痛な決意と覚悟の表明は、東京大空襲によって「帰るところを失った」のにもかかわらず、明石、岡山へと苦難の疎開行を続け、悲惨な現実に「堪えて堪えて堪えてゆくことに堪え」て、『断腸亭日乗』を書き続けた荷風の決意と覚悟に通じるものであった。

 文学者が文学者たるゆえんが、そして文学者が人間に対して人類に対して果たすべき使命が、この世に現出した地獄にも等しい悲劇を自身で体験し、冷徹、かつ透徹したまなざしで見据えた現実とその奥にあるものを言語によって書き残すことにあるとするなら、永井荷風と原民喜はまさにその使命を果たした文学者であった。少し大げさな言い方になるかもしれないが、日本民族を滅亡させたかもしれない二つの大惨禍の現場に、永井荷風と原民喜という慶應義塾とかかわりの深い文学者が、歴史に対する証言者として立ち会い、そこでの正に九死に一生を得るに等しい体験・見聞を後世に書き残してくれたことで、日本の文学は救われたといってもいいかもしれない。

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