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  1. 足あと帳(12)
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六十の手習い

 投稿者:マーキー  投稿日:2018年 9月25日(火)15時35分24秒 182-165-128-156f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  9月某日、京都市三条京阪のブックオフで白洲正子著『私の百人一首』(新潮文庫,2005)を100円で購入。

100円というのはお買い得だよなー。

「百人一首」の文庫本を買ったのは、今年の正月に小学生5年・4年・2年の孫たちに百人一首で勝負してボロ負けしたため。

いやーショックでありました。たしか中学生の頃暗記させられて、そこそこ「百人一首」には自信があったのですよ(笑)。

この本の冒頭の「六十の手習い 序にかえて」から引用する。

「昔、私の友人が、こういうことをいったのを覚えている。

――六十の手習いとは、六十歳に達して、新しくものをはじめることではない。

若い時から手がけて来たことを、老年になって、最初からやり直すことをいうのだと。

まだ若かった私は、そんなものかと聞き流していたが、この頃になってしきりに思い出される。

幼い時から親しんだ百人一首について、改めて考える気になったのもその為だが・・・」

ふーん、そうだったんだと納得した。

さて「六十の手習い」として何をすべきなのか、それが問題だなーと68のジジーはしみじみ考えたのでありました(笑)。

 
 

大坂なおみ 全米オープン初優勝

 投稿者:マーキー  投稿日:2018年 9月13日(木)06時05分20秒 182-165-128-156f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  記録のためのメモ

大坂なおみが、9月8日(日本時間9日)、全米オープンでセリーナ・ウィリアムズ(米)を6―2、6―4のストレートで破り、初優勝をかざった。

大坂なおみ、セリーナ破り全米OP初V 日本勢初の快挙(朝日新聞DIGITAL,2018/09/09 06:45)
https://digital.asahi.com/articles/ASL9874YNL98UTQP03R.html

9日(日曜日)朝、WOWWOWをつけたら優勝していたのでビックリ。

さっそく、予約録画をチェック。結果がわかっているので気楽に見れるのが嬉しい(笑)。

第二セットでは、セレーナに対する審判の警告が3回あり、その結果大坂に1ゲームが与えられた。観衆は大ブーイング。

警告の1回目はコーチングの反則(後にセレーナのコーチも反則を認めた。中継映像にもコーチが腕を前後している様子が映っていた)。2回目はセレーナがラケットを折ったことに対して。これによって、大坂選手に1ポイントが与えられた。3回目はこの措置に対してセレーナがレフェリーをののしったことによる。

警告2回で1ポイント、3回で1ゲーム、がテニスのルールであることを初めて知った(笑)。

授賞式もすごいブーイングだった。

大坂なおみの優勝スピーチがよかった。

「皆さんが、彼女(セリーナ)を応援していたことは知っています。こんな結果になってごめんなさい。」

“I know that everyone was cheering for her and I’m sorry it had to end like this.”

なんていい子なんだとジジーは思ったことでありました(笑)。


授賞式の模様は下記で見ることができる。

[FULL] 2018 US Open trophy ceremony with Serena Williams and Naomi Osaka | ESPN
https://www.youtube.com/watch?v=jCm3BemDlj8

大坂なおみのスピーチは、海外でも称賛された。

It’s shameful what US Open did to Naomi Osaka(by Maureen Callahan,NEW YORK POST,2018/09/08 20:35)
https://nypost.com/2018/09/08/its-shameful-what-us-open-did-to-naomi-osaka/


Serena Williams vs. Naomi Osaka: How the U.S. Open Descended Into Chaos(by  David Waldstein, NEW YORK TIMES,2018/09/09)
https://www.nytimes.com/2018/09/09/sports/serena-osaka-us-open-penalty.html




 

台風21号

 投稿者:マーキー  投稿日:2018年 9月 8日(土)18時08分57秒 182-165-128-156f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  台風21号で亡くなられた方々に心からお悔やみ申し上げます。また被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

また北海道大地震で亡くなられた方々に心からお悔やみ申し上げます。被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

さて台風21号は関西を直撃したわけだけど、わが家も直撃されました(涙)。

台風21号、死者11人に 住宅300棟超に被害(朝日新聞DEGITAL,2018/09/05 12:28)
https://digital.asahi.com/articles/ASL9534DLL95PTIL00X.html

(引用開始)

台風21号が西日本を通過して一夜明けた(9月)5日、各地で爪痕が明らかになった。各警察によると、大阪、滋賀、愛知、三重で計11人が死亡。総務省消防庁のまとめでは、大阪や愛知など21府県で計292人が負傷し、住宅被害は、大阪をはじめ17府県で一部損壊や床下浸水など計317棟に上った。停電は午前10時時点で近畿の約54万戸で続いている。高潮による冠水や連絡橋へのタンカーの衝突で約5千人が孤立した関西空港では、高速船とバスによる島外への輸送が始まった。21号が向かった北海道では強風に見舞われ、大しけになる見通し。

(引用終わり)

前日、台風に備えて外に出ているものはすべて物置にしまっていたので、4日(火)午後から風雨が強くなってからも、庭木が少し倒れるのも仕方がないかと、わりと落ち着いて庭を見ていた。

東隣の家の物置のトタン屋根がはがれてこちらに飛んで来るのを見たときは驚いたけど(笑)。

台風が去った後の午後7時頃停電して慌てたけれど、1時間半ぐらいで復旧して、「まあよかった」とその日ははやく寝たんだ。

翌朝、家の前の道に散らかった小枝や葉っぱを掃除していたときに、西隣のお宅のご主人に「これが落ちてましたよ」と、とい状の金物(2メートル強ぐらい)を見せられてビックリ。

わが家の屋根は四角すいの単純な形をしているんだけど、その斜めの辺を覆ってる金具の一部だったんだ。

以前から、屋根を直さないと大変なことになるかもと指摘を受けていたんだけど、金がないため放っておいたんだ。

がたがきて釘がゆるんでいたために強風にあおられてお隣に落下したらしい。

家電製品のすべてをおまかせしている電気屋さんの某氏のケータイに女房が電話したところ、午後になって来てくれてた。

高い屋根に上って、とりあえず釘を打ってもとに戻してくれた。

「滋賀県の電気屋はすごい」というのは有名だけど、感謝、感謝、であります。

聞いたら、朝から電話が鳴りっぱなしで対応が大変らしい。

実際、ご近所だけでもテレビのアンテナが飛んだり、駐車場のプラスチックの屋根の一部が飛んだりした家が数件あるんだから、件の電気屋さんのエリアだけでも大変な数になるはず。

「屋根を直す金もないのにどうしよう」と悩んだけど、当座は数万円の手間賃でしのげそうでホットしました。

記録のためのメモでした(笑)。


 

共同体の同調圧力

 投稿者:マーキー  投稿日:2018年 8月30日(木)15時33分41秒 182-165-121-6f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  8月も、もう終わり。今年は猛暑日のめちゃ多い夏でありました。

消防庁の発表によれば、7月の全国における熱中症による緊急搬送人員数は54,220人で昨年同月の緊急搬送人員の2倍以上に上った。

平成30 年7月の熱中症による救急搬送状況(by消防庁,2018/08/22)
http://www.fdma.go.jp/neuter/topics/houdou/h30/08/300822_houdou_1.pdf


今年の夏も何もできないまま終わってしまったけど、書きたかったことを書きとめておきたい。残務整理みたいのようなものであります(笑)。

まず第一は、鴻上尚史さんのいう「共同体の同調圧力」について。

私の叔父は海軍入隊後、特攻隊の一員のまま終戦を迎えた。そのこともあって、『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』 (鴻上尚史,講談社現代新書,2017/11/14)が出版された時は購入したかったけど、お金がなかったのよ(笑)。

Amazonの内容紹介によれば、以下のような本であります。

「太平洋戦争末期に実施された“特別攻撃隊”により、多くの若者が亡くなっていった。だが、「必ず死んでこい」という上官の命令に背き、9回の出撃から生還した特攻兵がいた。その特攻兵、佐々木友次氏に鴻上尚史氏がインタビュー。飛行機がただ好きだった男が、なぜ、絶対命令から免れ、命の尊厳を守りぬけたのか。命を消費する日本型組織から抜け出すには。」

朝日新聞デジタルに著者のインタビューが載っているので記録のためのメモ。

印象に残ったのは、著者のいうわが国における「同調圧力」の部分。

「安倍さんがどうのというより、同調圧力が桁外れに強い国なんだという意識を持っているかどうかが、政治家の立ち位置を決めると考えています。それは自民党だろうが、共産党だろうが、僕はあまり区別していません。他人に合わせて行動するということは、自尊意識が低いこととセットなのですが、それをどれくらい問題だと考えているかで、人はずいぶん違うんだろうと思うんです」

2017年の流行語大賞に「忖度」が選ばれたけど、「忖度」を強要する「同調圧力」が右翼左翼を問わずあらゆる組織にあるのは事実だと思う。

今年の流行語大賞に「インスタ映え」と「忖度」(by塩原賢,朝日新聞DIGITAL,2017/12/01)
https://digital.asahi.com/articles/ASKD14F1FKD1UCLV00R.html

インタビューの最後の部分を引用する。

 ――日本の将来に希望はありますか。

「最近も政府が2020年の東京五輪・パラリンピックの暑さ対策のため、サマータイムの導入を検討すると言っています。導入しなくても、マラソンは朝7時スタートを5時にすればいいだけで、なぜ国民を総動員するんでしょう。いいように忖度する国民なので、目覚め続ける不断の努力が必要です。うかうかしているとえらいことになります。あきらめたら負け。頑張らないと」

「あきらめたら負け。頑張らないと」。その通りだとジジーは思うものであります(笑)。


(インタビュー)特攻生んだ日本社会は 作家・演出家、鴻上尚史さん(by諏訪和仁,朝日新聞DIGITAL,2018/08/23 15:00)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13646918.html

(引用開始)

――著書では特攻を9回命じられ、9回生きて帰ってきた陸軍の操縦士、佐々木友次さんに話を聞き、彼の生き方を描きました。

「まずその事実に驚きました。ただ帰るだけでなく、爆弾を落として船を沈めているのですが、参謀や司令官たちはまったく評価しない。21歳の若者に『次は死んでこい』と言うわけです。『爆弾を落として船を沈めればいいと思います』と佐々木さんが言っても、『爆弾を落とした後に体当たりしろ』と言う。死ぬことが目的になっているのです。これだけ言われても、なぜ9回とも帰ってこられたのかを知りたかった」

 ――結局、なぜ帰ってこられたのでしょう。

「色々な要素があるのですが、最大の理由は、佐々木さんが空を飛ぶことが大好きだったからだと思います。彼が乗った九九式双発軽爆撃機はあまり評判のよくない飛行機でしたが『乗りこなすと鳥の羽みたいになるんだ』と言っていた。自分の手で大好きな飛行機を壊すことに耐えられなかったんじゃないでしょうか」

「なおかつ上官にいくら文句を言われても、パイロットだから飛び立てば一人なわけで、精神の自由を保てたのだと思います。『飛ぶことが好き』なんて考えは、当時の軍隊のような超ブラックな組織ではまず言えないことです。日本型組織は、少数の異論を持つ人に暗黙のうちに多数意見と合わせるよう求める同調圧力が強い。これに対抗する最も強力な武器は、『本当に好きだ』という気持ちを持ち続けることだと思います」

 ――若者たちは自ら特攻兵になったのですか。

「上官が隊員を並ばせて、『志願する者は一歩前に出ろ』と言い全員が出るまで待ち続けた例や、『行くのか行かないのかはっきりしろ』と突然叫んで、全員が反射的に手を挙げた例もあったといいます。好きでなったとは言えないでしょう。中には、予科練や少年飛行兵など14~15歳から軍隊教育を受けて外部の価値観を知らないまま成長し、志願した人もいたと思いますが、それは1割か2割です。残りは志願という名の強制、命令だったのは明らかです」

「命令した側は自分たちの責任を明確にしたくないので、『我々が非難されるのは甘んじて受け入れるが、国のために散った若者を馬鹿にしないで欲しい』という、実に卑劣で巧妙な言い逃れをしています。特攻を命令した側と命令された側を、ひとまとめに『特攻』と呼んではいけません」(略)

 ――特攻を生み出した日本社会のあり方は変わりましたか。

「日大アメフト部の選手が悪質なタックルをした問題の構造が、特攻の構造とあまりに似ていて、怒りを通り越してあきれました。指導者側は選手が自発的にやったと言い、選手側は指示だったと言う。ただ選手は従わざるを得なかったわけで、僕らは同調圧力の強さの中で、つい忖度(そんたく)してしまう国民性なのです」

――国民性ですか。

「日本の文化の奥底には村落共同体を守ろうとする意識があって、これを壊そうとするのは天災ぐらい。天災にはあらがってもしょうがないと、与えられたものを受け入れ、現状を維持することが一番重要なんだという文化が根づいているのだと思います」

 ――共同体は悪でしょうか。

「もちろん良い面もあって、東日本大震災で壊滅状態だった道路の大半が1週間で通れるようになったのは共同体が機能した例です。復旧工事にかかわった人の中には、まだ肉親が見つかっていない人も、家が壊れたままの人もいました。それでも復興のためなら、何をおいてもやる。絆をもとに動くことが、すべて悪いこととは言えません」

「しかし、いい結果をもたらさない場合も多いでしょう。ひとつの例が残業です。仕事をするために残業していたのがいつの間にか、上司が残っているから帰れないとか、定時で帰ると仕事していないように思われるとか、残業自体が目的になってしまっている。僕ら、忖度する国民はそれが変だと思いながらも、共同体を維持することが大事だと思い込みがちなので、指摘せずに続けてしまう」

 ――これは変わりませんか。

「『不死身の特攻兵』は、最初は歴史好きの人が、その次にサラリーマンが買うようになりました。そのうち女性も買うようになり、ネット上では『PTAと全く同じ』なんて反応があります。最近は高校生や大学生が『これって俺たちのコーチの話じゃん』と反応している。このままではいけないと思い始めている人が、増えてきていると感じますね」

 ――日本社会の息苦しさについては以前から指摘していました。

「僕は四国の愛媛県の出身で、両親は小学校の教師でした。教師は理想を語るので、おかしいと思えばおかしいと言う。その影響か、子どものころから朝の6時に役場や公民館がサイレンや歌を流すのはおかしいと思っていました。これは、朝6時に起きる人たちを前提にした社会でしょう。しかし朝寝ていたい人もいるだろうし、家によって生活習慣も違う。こういう慣習を、何十年も残してきたのが『世間』です」

 ――戦後、高度経済成長期やバブル時代を経ても、「世間」はなかなか変わらなかったと。

「高度経済成長は、日本のナショナル・アイデンティティー(国民意識)になった。豊かになることに向かいこの国は進んできたけど、バブル経済の崩壊後、失われた20年が来ました。我々は今、ポジティブに言えばどこに向かうべきかを探している時代で、ネガティブに言えば喪失した時代です」

「一部の人は、世間の人々がみな仲良く助け合っていた、古き良き伝統ある日本に回帰することを目指しています。僕はそれを『世間原理主義者』と呼んでいます。しかし、世間と呼ばれる共通の価値観で生きていく前提は既に崩れているのに、それを取り戻そうとすると、同じ価値観に染まらない人たちへの排斥が始まります。それがLGBTの人は『生産性がない』という驚くべき発言につながるわけです。世の中が多様になる流れは必然で、排斥しても何も始まらないはずです」

 ――一方で、こうした言動に対抗する動きもあります。

「そういう面では実にスリリングな時代、おもしろい時代だと思いますね。『生産性』というような視点でしか語れない政治家がいる一方で、すぐに抗議デモが起こる。しかしこれは、両者の分断が進む危険性もはらんでいます。おそらくネットが普及した影響が大きいと思います。新聞がメディアの一番手だった時代は、自分が読みたくないものも目に入りましたが、今は自分の読みたい文章だけ読んで一生を終えられるようになりました。情報がたこつぼ化しているのです」

 ――「生産性」発言への自民党の対応には批判がありますが、9月の総裁選では、安倍首相3選の可能性が高いと言われます。

「安倍さんがどうのというより、同調圧力が桁外れに強い国なんだという意識を持っているかどうかが、政治家の立ち位置を決めると考えています。それは自民党だろうが、共産党だろうが、僕はあまり区別していません。他人に合わせて行動するということは、自尊意識が低いこととセットなのですが、それをどれくらい問題だと考えているかで、人はずいぶん違うんだろうと思うんです」

 ――どういう人にこの国のリーダーになって欲しいですか。

「本が話題になって、右側からも左側からもいろんな意見がきましたが、結局、同調圧力を求める人たちは、右にも左にもいます。この状況をなんとかしない限り、この国が本当に、健全に一人ひとりが思考することは難しいと分かってもらえる人がいいですね」

 ――日本の将来に希望はありますか。

「最近も政府が2020年の東京五輪・パラリンピックの暑さ対策のため、サマータイムの導入を検討すると言っています。導入しなくても、マラソンは朝7時スタートを5時にすればいいだけで、なぜ国民を総動員するんでしょう。いいように忖度する国民なので、目覚め続ける不断の努力が必要です。うかうかしているとえらいことになります。あきらめたら負け。頑張らないと」

(引用終わり)



 

向田(邦子)さんは、孤独な、かわいそうな人でした

 投稿者:マーキー  投稿日:2018年 8月27日(月)16時15分4秒 182-166-90-143f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  私は向田邦子ドラマのファンであります。

特に、脚本向田邦子、演出久世光彦(くぜてるひこ)コンビの作品が好き。

「向田邦子新春シリーズ」がベストだと書こうと思って、念のために調べたら、「向田邦子の小説を原案に、久世光彦の演出、小林亜星の音楽、黒柳徹子によるナレーションで毎年1月の恒例スペシャルドラマとして定着した。」とありました。調べてよかったです(笑)。

天才演出家・久世光彦の魅力と代表作を徹底紹介!【盟友・向田邦子との関係は?】(ciatrシアター,ドラマ,2018/04/27)
https://ciatr.jp/topics/309690

『向田邦子の恋文』(by向田和子,新潮文庫,2005)、『向田邦子 恋のすべて』(by小林竜雄,中公文庫,2007)で、向田さんとカメラマンさんとの恋のことは承知していたけど、件の恋人が死んだ後の彼氏の存在については知らなかった。

結局は「結婚運がなかった」ということらしいけど、「孤独な、かわいそうな人でした」という他はない。

結婚できた娘、そしてその父親である私は幸運というべきなのだろう(笑)。


以下は阿部浪子(あべなみこ)氏の「リハビリ日記Ⅲ ⑨⑩」からのコピペ。ちなみに阿倍浪子氏は信濃毎日新聞で書評を数十年間にわたって担当した文芸評論家であります。


リハビリ日記Ⅲ ⑨⑩(by阿部浪子,ちきゅう座,2018/08/27)
http://chikyuza.net/archives/86961

(引用開始)

知的で美しい人。テレビドラマ脚本家で、直木賞作家の向田邦子の写真をみるたびに思う。1981(昭和56)年、向田は飛行機事故でなくなっている。

運命鑑定家のなかでも、看板をかけずに自宅で仕事をしている人がある。そんな1人から先述の高山さん(阿部浪子さんの取材対象だった運命鑑定家)は情報をえていた。

向田はその人に信頼をよせ、かけだしの30歳のころから他界する51歳まで、手紙で相談していた。

〈向田さんは孤独な、かわいそうな人でした〉。その人は、高山さんにいったそうな。

おもてむき華やかな向田の背後には、壮絶なたたかいがあったとも。ライバルの女性脚本家たちとの競りあい。それは仕事が下火になった時期がすごかった。テレビ界での地位を保たなければならない。

向田は、女優の泉ピン子を起用して再起を図ろうとした。〈おかみさんのキャラクターを演じられるのは、ピン子しかいない〉。向田は獲得に必死だったが、ピン子は同業の橋田壽賀子のもとに走った。

名作「寺内貫太郎一家」「冬の運動会」などにも、向田の実人生の苦悩は影を落としているかもしれない。

その人によれば、長女の向田は親族の複数から金をせびられていた。親族との縁はきっぱり断ちきれない。そこで脚本を量産しなければならない。その葛藤に向田は苦しんだのだった。

向田にはわかいときカメラマンの恋人がいたが、このころもかれが2人いたという。いやしの存在としての男性。1人に落ちつきたかったが、結婚運がなかった。〈親族は知らなかったでしょ〉と、高山さんは推察していた。

(引用終わり)

 

何故 デュシャンにひかれるのか

 投稿者:マーキー  投稿日:2018年 8月21日(火)23時07分39秒 182-166-90-143f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  以下は、2010年5月20日に書いたものである。


デュシャンに何故ひかれるのか.何故今デュシャンなのか.


「大ガラス;独身者達によって裸にされた花嫁さえも」、レディ・メイド、エタン・ドネ、で著名なこの人物は、死後半世紀を経た現在も謎であり続けている.


「私は運が良かった」で始まり「私は幸福です」で終る『対話集*』も、エタン・ドネが死後9ヶ月たってから公開されたことにより、肝心なことはデュシャンが語らなかったことは明らかだ.デュシャンは1946年~68年のおよそ20年間、密かにエタン・ドネの構想に費やしていたのだから.

*「デュシャンは語る, 岩佐鉄男・小林康夫訳,ちくま学芸文庫,筑摩書房,1995)」は欠くことができない。「Pierre Cabanne:Entretiens avec Marcel Duchamp, ed. Pierre Belfond, 1967」の翻訳である。


以下は当時私がメモしたもの


p.142
「偉大な画家にしろ芸術家にしろ、どんな天才が産みだしたものでも、本当に重要な価値があるというものは、実に一生のあいだに四つか五つくいしかないものです。あとの残りは、日毎の時間つぶしでしかありません。一般的に言って、この四つか五つのものは、それが現れたときには、人びとにショックを与えています。『アヴィニョンの娘たち』にしろ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』にしろ、それらはつねにショックな作品だったのです。」


pp.143-144
「私は芸術家の《メディア》としての側面を信じています。芸術家は何かをつくる。そしてある日、大衆の介入によって、観客の介入によって、彼は認められる。そうして、彼は後世にも名を残すことになるのです。この事実を無視することはできません。それは二つの極によって産みだされるものだからです。作品をつくる者という極があり、それを見る者という極があります。私は、作品を見る者にも、作品をつくる者と同じだけの重要性を与えるのです。


「私は、作品を見る者にも、作品をつくる者と同じだけの重要性を与えるのです。」

創作するものならだれもが心の中に持っている「作品を見る他者」について、ここまで率直に語ったのはデュシャンが初めてだったと思う。
 

映画「Jeu d'échecs avec Marcel Duchamp (1963)デュシャンとの対話」

 投稿者:マーキー  投稿日:2018年 8月21日(火)22時45分22秒 182-166-90-143f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  以下は2010年5月24日に書いたものである。


「Jeu d'échecs avec Marcel Duchamp (1963)デュシャンとの対話」は、デュシャンファン必見の映画である。

その概要は以下で見ることができる。

"Jeu d'échecs" avec Marcel Duchamp ,1963 / excerpts
https://www.youtube.com/watch?v=VOhQ1hBUgkw


デュシャンの死の5年前である1963年、Pasadena Art Museum*で個展(回顧展)が開催されたおりにスタッフが同行して撮影したもの。始めのほうで、デュシャンが「一日7時間もフィルムを廻している」とジョークをとばすシーンがある。1964年6月8日に初放映された後、9月19日国際アートフィルムフェスティバルでも上映された。英語版は9月に「芸術と人」シリーズの一つとして放映された。

ネット上で公開されているのは英語の字幕入りのもの。デュシャンの死後公開されたエタン・ドネの映像も入っているので、彼の死後再編集されたものと考えられるが、いつ再編集されたかについての言及はない。

作品の中でデュシャンが“there is no solution because there is no problem”(もちろん仏語でil n’y a pas・・・)と語る印象的なシーンがあるが、チェスについてのコメント(だと思う)がそのまま人生についてのコメントと受け取れるように編集してある。

*パサデナ (カリフォルニア州) - アメリカ合衆国カリフォルニア州南部、ロサンゼルスの郊外都市。ローズボウルやカリフォルニア工科大学で知られる。Pasadena Art Museumの現在の名称はノートン・サイモン美術館 (The Norton Simon Museum)である。アメリカ人実業家ノートン・サイモン(1907年2月5日-1993年6月1日)の個人的コレクションを基にして開設された。(wikiによる)


http://www.ubu.com/film/duchamp_chess.html

Jeu d'échecs avec Marcel Duchamp (1963)

This film records an in-depth interview with Duchamp which took place five years before his death, at the time of his first ever one-man show (at the Pasadena Art Museum). It records for posterity Duchamp talking about his life, his ideas on art, why he chose to continue living in America after fleeing France in 1915, and why he virtually abandoned his work as an artist in 1923. An engaging dialogue takes place between Duchamp and film-maker Jean-Marie Drot as they go around the Pasadena show, with the artist commenting on the exhibits and using them to explain the various stages of the development of his work. This is punctuated by the games of chess, which were for Duchamp a passion and a metaphor for the mental discipline he applied to his art. In this film we gain a rare glimpse of him talking with humour and insight about his ideas, and living up to the myth of the artist-philosopher that has grown up around him.

Jeu d'échecs avec Marcel Duchamp was filmed late 1963 in Pasadena and New York for the Radio Télévision Franchise (RTF); first broadcast on 8 June 1964 and then shown at the International Festival of Artistic Films and Films of Art (Bergamo, 19 September 1964). The English version was presented in a television broadcast in September 1964 in the 'Art and Man' Series.

"The goal of chess is to mate. We can thus see this picture as the record of a tableau vivant of a word play. Since Freud, vulgar theorists have held that chess and art, to pick two examples, are sublimations of sex. Given Duchamp's attitude towards wordplay versus theory, it is better to see his life long interest in chess and eroticism as a sublimation of this picture's wordplay! Given that the double meaning of "mate" does not exist in French, at last we have a satisfactory explanation of why Duchamp had to emigrate to America. In other words: in the beginning was the word; in the center the pun." From: A Pun Among Friends by Steven B. Gerrard
 

「生死はときの運、興亡は天にゆだねよう(生死由命,而?亡在天矣)」

 投稿者:マーキー  投稿日:2018年 8月21日(火)17時38分0秒 182-166-90-143f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  面白い記事をみつけたので、記録のためのメモ

米中対決の行方や中国の台湾併合を心配しているのは、私だけではないと思う。

7月末、以下の記事が配信された。北京の精華大学教授がネット上に習近平批判の論文を発表したというもの。

習主席への個人崇拝「やめよ」 中国の名門大教授が論文(by北京=冨名腰隆,朝日新聞デジタル,2018/08/01,23:11)
https://digital.asahi.com/articles/ASL8151QJL81UHBI01R.html

(引用開始)

中国の習近平(シーチンピン)国家主席の母校である清華大学の許章潤・法学院教授(55)が、国家主席の任期を撤廃したことや指導者を個人崇拝する動きを批判する論文をインターネット上に発表し、波紋が広がっている。習氏の権威の高まりと共に体制批判は厳しく管理されてきたが、独裁への反発がくすぶる中、知識層から公然と不満が噴出した形だ。(略)

長期政権を可能にし権力集中を強める習氏だが、最近は顔写真に墨をかける市民の動画が相次ぐなど、足元が揺らいでいる。毎年夏に中国共産党の重要課題を非公式に議論する「北戴河会議」を控え、長老からも批判が出ているとの情報もある。

(引用終わり)

当該の許章潤清華大学教授の論文について、阿部治平氏が紹介されているのでコピペ。

ちなみに、阿部治平氏は「1939 年長野県生れ。大阪外大講師などを経て、2000 年から天津社会科学院、青海省青海師範大学、青海民族大学に勤務。主著に「チベット高原の片隅で」(連合出版,2014)がある」方であります。

チベット高原の片隅で 阿部治平著
http://rengo-shuppan.on.coocan.jp/bunyabetu/kiko/kikoshokai/tibetabe.html



「生死はときの運、興亡は天にゆだねよう」――習近平批判(by 阿部治平,リベラル21,2018/08/16)
http://lib21.blog96.fc2.com/

(引用開始)

7月24日習近平独裁体制と政治路線を真正面から批判する論文が現れた(https://www.boxun.com/news/gb/pubvp/2018/07/201807260816.shtml)

論文は中国清華大学教授許章潤先生のもので、中国国内の民間ネット上に発表されたが、当局によっていち早く抹消された。だが日本でも産経(7月26日)や時事(8月3日)が同論文の内容を伝えているくらいだから、中国国内では拡散しているに違いない。内容はちかごろ散発的にあらわれた習近平政権に対する批判の集大成というにひとしい(以下( )内は阿部)。


結論からいうと許先生は、(習近平主席)個人崇拝の停止、国家主席の最大10年の任期制度の回復、「六四(1989年の天安門事件)」の再評価、官僚の財産公表、退職幹部の特権廃止、過大な対外経済援助の中止などを要求し、文化大革命的行政とイデオロギー支配に警鐘を鳴らし、米中貿易戦争激化責任の所在を問うなど、習近平政権に対する鋭角、全面の批判を行なった。


まず前文では「いま中国国民は、官僚集団も含めて国家の発展方向と自分の身の安全についてかなり心配している。それは近年の中国政治が改革開放30年来の政治上の基本原則に逆行しているからだ」という。

許先生のいう基本原則とは、習近平以前の「改革開放」の30年間に形成され、中国社会全体が受入れてきたものである。

第一は基本的な生活の安全。

「(文化大革命時代の階級闘争)運動」と「毛沢東のやりたい放題(原語:和尚打傘無髪無天)」が終ると、かわって「改革開放」が登場し、これによって庶民はようやく毎日の生活の安全がはかれるようになった。そして全国民がこの「改革開放」を擁護したことによって、(中国共産党の一党支配という)現有政治体制は基本的合法性を得ることができた。

文革時代苦難の歴史を歩んだ庶民にしてみれば、支配者は誰でもよい、世の中が安定し毎日を無事すごせればそれでよい、という気持になったのは当然である。


第二は、たとえわずかであろうと国民の財産私有権が認められ、豊かさの追求が許されること。

これによって国家経済は空前の成長を見た。これで科学教育文化衛生と軍事費、とりわけ党と政府の膨大な経費がまかなえたし、一般国民の生活水準もある程度向上したのである。既存の政治制度は経済の急速な発展によって担保された。


第三は、わずかながらも市民生活の自由が認められること。

数十年来、中国の市民社会は発展しなかったし、庶民は少しでも頭をあげると叩かれた。国民の政治の知識と、(権利意識を持った)公民としての人格の発展は阻止され、中国人の政治的成熟はいまも困難を極めている。だが市場経済が比較的発展した地方では、私的生活の自由はとりあえず形成されたのである。


第四は、政治指導者の任期制度が実施されること。

憲法には国家主席と国務院総理の任期制が規定され、最長2期10年が「憲法上の慣例」になり、任期が終わると党内で平和的に権力の禅譲がおこなわれるようになった。

とはいえ、「改革開放」の30年余社会の多元化と政治的容認の程度は明らかに増大した。だが政治体制全体はいまだいかなる進歩も見いだせない。実質は昔ながらの陳腐で残忍な敵味方の闘争と独裁政治理念のままで、それに「天下を争う」醜態が加わっているのだ。


習近平政権によって政治上の基本的原則がないがしろにされた結果、そこに生まれた憂うべき問題として、許先生は次の8項目を挙げている。

第一は財産権侵害についての恐れ。

数十年来ため込んだ財産は多少にかかわらず持ち続けられるのか。今までの生活の仕方は安定を保てるか。財産権は法定どおりの保障が得られるのか。社会の実力者(村党委員会主任などもふくめて)が失脚した時、その関連企業が破産したり、一家離散して肉親を失うようなことはないのか(重慶党書記時代の薄熙来は金持ちを陥れて財産を没収し、一家離散に追込んだ)。


第二は政治主導が突出して経済建設中心の基本政策を放棄すること。

この数年来、イデオロギー上の火薬の臭気がだんだん濃くなって、公権力が権力づくで人々の発言権を圧迫するため、知識界はひとしく恐惶をきたしている。子供が親を摘発し、学生が教授の言動を密告する文革的状況が生れるおそれがある。


第三はふたたび階級闘争をやること。

数年前メディアのイデオロギー主管の官僚が何度も階級闘争を提起し、みんなをパニックに陥らせた。この数年の行政傾向は、スターリン=毛沢東流の階級闘争を疑わせるものだ。反腐敗闘争の展開が進むに従い、新設の国家監察委員会がその権力を無限に拡大したとき、KGB式の取締や残酷な党内闘争がおこる可能性を思わずにはいられない。


第四は、ふたたび鎖国状態におちいり、中国がアメリカをはじめ西側世界と疎遠になり、北朝鮮のような悪政国家とくっつくこと。

中国の経済成長と社会進歩は中国文化の独自発展であり、また現代世界体系が中国に根を生やしたのち成長したものだが、具体的な局面を見ると改革開放は西側世界との関係を改善したのち、グローバル経済の特急列車に乗って実現したものだ。鎖国しては進歩は疑わしい。


第五は対外援助が大きすぎること。

国内には前近代的な状態の地方が多くあり、国民は生活費節約を強いられているというのに、中国はすでに世界最大の援助国となり、毎年数十億数百億元を費やしている。見栄を張って実利、実力をともなわない外交はすべきでない(「一帯一路」政策への批判)。


第六は知識分子を思想改造するために、左傾のイデオロギー政策を実行すること。

むかしから知識分子は労働人民の一部であるといわれてきたが、わずかでも異変があると彼らは枠外に弾き飛ばされ、敵にされてしまう。国家政治の潜在的動向はまず知識人政策に明瞭に表れる(近年の民主人権派人士への弾圧)。


第七、軍備増強競争と戦争の爆発、新冷戦となること。

この10年という短期間に東アジアはすでに軍拡競争に入っている。戦争の可能性はまだ低いが、問題はこれによって中国の正常な発展が中断せざるをえなくなることだ(台湾海峡の緊張、南シナ海紛争などを指している)。


第八の問題は、改革開放が終り強権政治に全面的に回帰すること。

改革は空転し、後退し始めている。これはこの数年のことではなく、習近平政権第一期から続いている。「開放が改革を迫る」ことがなかったら、今日の中国の経済も社会と文化もあり得なかったのに。(略)


この論文は、「これでは許先生の身が危ない!」と思わせる内容だ。いやすでに身柄を拘束されているかもしれない。彼自身も論文の末尾で「生死はときの運、興亡は天にゆだねよう」と覚悟のほどを示している。権力者にとってはまことに扱いにくい、伝統的な骨のある中国知識人の面目躍如たるものがある。

しかしうがった見方をすれば、この論文は注意深く中共一党支配の是非をとりあげていないうえに、8月の北戴河会議を控えて発表されたものだ。北戴河会議は毎年開かれる現旧中共最高級幹部合同の人事や政策の検討会である。許先生の背後には守護神すなわち最高級有力者の支持があるか、あるいはそうした人物の示唆によってこの論文が書かれた可能性がある。

そうだとすれば、北戴河会議の次第では、この秋、個人崇拝の停止、独裁体制の修正など何らかの政治的変化が現れるかもしれない。習近平がやり過ぎているのは、中国人の誰でも感じるところだから。(2018・08・08記)

(引用終わり)
 

お母さん、ハワイの方がすずしかったね

 投稿者:マーキー  投稿日:2018年 8月10日(金)23時12分57秒 182-166-90-143f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  8月2日(木)、京都にいきました。

女房に一日家をあけるように言われたため。

京都はすごく暑かったです。

交差点で、青信号になるのを待っているだけで頭がクラクラします。

その時、足元で「お母さん、ハワイの方がすずしかったね」という声が。

5歳くらいの女の子でありました。

30代前半にみえる母親は白い帽子に白い服を着て、涼しげに微笑んでおりました。

プ~のジジーは、日本も進化したなーと思ったことでした(笑)。
 

多治見は暑かった

 投稿者:マーキー  投稿日:2018年 8月10日(金)23時00分59秒 182-166-90-143f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  7月の西日本豪雨でお亡くなりなった方々に心からお悔やみ申し上げます。

また被災された方々に心からお見舞い申し上げます。


西日本豪雨、死者224人 行方不明12人(朝日新聞DIGITAL,2018/07/22 21:39)
https://www.asahi.com/articles/ASL7Q5SBJL7QPTIL01R.html

(引用開始)

 警察庁は22日、西日本豪雨との関連を調べていた広島県内の死者の1人が災害に起因していなかったと発表した。同庁の同日午前5時45分時点のまとめでは、死者は15府県で224人。うち6人は、自治体が今回の災害との関連を確認中。行方不明や連絡が取れない人は、朝日新聞の22日午後7時時点のまとめで少なくとも12人いる。

(引用終わり)


この日記を読んでくださっている5本の指でも余る皆さま、お元気でお暮しでしょうか。

残暑厳しき折り、どうぞご自愛くださいませ。


さて、私ことハゲのプ~太郎も何とか生きております。

7月21日から2泊3日で四日市の親戚の家におじゃましました。

目的は多治見市近くに住む、10歳年上のいとこに会うこと。

歳が離れているため、昔から私は「おじさま」と読んでいます。

「おじさま」は30代で脱サラし、今は〇〇技研工業の社長であります。

会社は、風力発電所のメンテナンスとかを得意とする、小さいながらもニッチ市場ではオンリーワン企業の一つとなっています。

今年の5月に旭日〇〇章を叙勲したそのお祝いを兼ねての訪問であります。

皇居で他の受賞者と一緒にとった記念写真を見せてもらいました。

男性は皆モーニング、女性は着物でありました。

叔父を訪問した帰りに、「日本一暑い」多治見市を通過しました。

電光掲示板に「ただ今の気温 39°」を見たときは感動しました(笑)。

まあ無事に家に帰ることができてホットしました。

老人に暑さはこたえます(笑)。

この間、この日記を書かなくてはと思いながら一行も書けない日々が続きましたが、明日からは元気にがんばろうと思っています。

おしまい
 

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