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令和最初の衝撃 蒼井優 山里亮太と結婚

 投稿者:マーキー  投稿日:2019年 6月 8日(土)05時36分36秒 59-190-238-253f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  例によってこんなことしている場合ではないんだけど、記録のためのメモ。


6月5日朝、蒼井優が山里亮太と結婚したことが報道された。

山里亮太は南海キャンディーズの“山ちゃん”のことと知って、思はずテレビに向かって「嘘だろー」と叫んでしまった。

日本国中の男性が驚いたと思う(韓国でも、蒼井優ファンの男性には衝撃だったと朝鮮日報(日本語版)で報道されていた)。

蒼井優と南海キャンディーズ・山里亮太が結婚 3日に婚姻届提出(スポーツ報知デジタル, 2019/06/05 5:00)
https://hochi.news/articles/20190605-OHT1T50044.html

(引用開始)

女優の蒼井優(33)とお笑いコンビ「南海キャンディーズ」の山里亮太(42)が結婚していたことが4日、スポーツ報知の取材で分かった。

知人によると、交際開始は4月ごろという超電撃婚。3日に婚姻届を提出している。恋のキューピッドは山里の相方・しずちゃんこと山崎静代(40)。蒼井とは映画「フラガール」(06年)の共演以来の親友で、その縁が結んだ「フラガール婚」になった。

(引用終わり)

6月5日朝8時のフジテレビのバラエティで、「蒼井優と山里亮太が結婚」を紹介した後、「今日午後7時から二人の共同記者会見があります。」と報じていた。

翌6日(木)朝のバラエティー番組で、記者会見の模様をたっぷりみた。

そのころには私の「なんであいつが・・」という怒りに似た感情も収まっていて、穏やかな気持ちで見ることができた。

私が感心したのは、蒼井優が「結婚指輪はお断りしました。」と答えたところ。

私の妻と同じ。結婚したときは、大学長期在学中で金もなかったからなんだけど(笑)。

「すぐに別れる(別れてほしい)」と思っていたけど、二人の結婚は結構長く続くんじゃないかと思ったことでした(笑)。

あと、山里亮太が蒼井優を「ゆう」と呼んでいる(蒼井優を山里を「りょうた」と呼ぶ)と言ったとき、会場から「おーーー」というどよめきがあがりました。

ほとんどが男性の記者なんだからその気持ちはよくわかります(笑)。

私の娘夫婦も名前で呼び合っているみたいだから、今は普通なのかな。

会見の模様は週刊朝日デジタルが詳報しているので、貼っておきます。

午後7時からの記者会見を午後8時16分にアップしているのでビックリ。

仕事のはやいところは見習わなくてはと、今書きながら思いました(笑)。


山里亮太&蒼井優 結婚会見【会見全文・前編】「しずちゃんが紹介してくれた」(山里)(週刊朝日デジタル,2019/06/05 20:16)
https://dot.asahi.com/dot/2019060500085.html

山里亮太&蒼井優 結婚会見【会見全文・中編】「結婚を前提にという話だった」(蒼井)(週刊朝日デジタル,2019/06/05 20:31)
https://dot.asahi.com/dot/2019060500102.html

山里亮太&蒼井優 結婚会見【会見全文・後編】「グリーンカレーにド肝を抜かれた」(山里)(週刊朝日デジタル,2019/06/05 21:55)
https://dot.asahi.com/dot/2019060500105.html

(引用開始)

──恋多き女優と言われてきましたが。好きになった理由は。

蒼井:私を好きになってくれる男気です。

山里:え、好きになるのって、そんなに覚悟必要でしたっけ?

蒼井:一方的に私が好きになったとしても、言っていただかないと前に進めないので。いろいろ、あれですけど。「それでもいい」と言ってくださって、本当にありがたいですし。あともう一つ、私はとても山里さんのお父さんとお母さんも、お二方のことがすごく好きで、山里家の一員になれるということに、もう一つ心強さというか。結婚ってこういうことなんだと思いました。

──結婚指輪は?

蒼井:お断りしました。

──ええ!

山里:指輪をいただくことですよ。いま、ものすごいスピードで婚約破棄の空気出ましたよね!

蒼井:買ってくださると言ったんですけど。私、大切なものって絶対になくすんです。年内になくす自信があったので。もし、それだとしたら何かを一緒に経験することに使って欲しいかなと思って。(略)

──お互いをなんと呼び合っているのか。

山里:呼び方ですか。生意気にも「ゆう」です。

蒼井:「亮太」って呼んでます。

山里:あの、僕が呼び捨てで言ったときの薄ら笑いなんですか。僕は女子を下の名前で呼び捨てることができなかったんです。ずっと。最初にお付き合いしたときになんて呼び合うかって会議になったときに、僕はさん付け、しかも苗字で。それはちょっと寂しいんじゃないかという話になって、しばらく呼び捨てを練習する期間があって。今はスムーズに呼び捨てにしていますね。ねえ、優。ユー、言っちゃいなよ。

しずちゃん:亮太。

山里:やめてくれ。それ化け物がはじめて人間と友達になったときの言い方だよ。

(引用終わり)

 
 

彼女は「安楽死」を選んだ

 投稿者:マーキー  投稿日:2019年 6月 5日(水)17時20分18秒 59-190-238-253f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  記録のためのメモ。


私のかねてからの持論は、“「年金問題」の解決は「安楽死」(の合法化)にある”というもの。

fuckingな今の世の中におさらばしたいと思う人は、私も含めて1万人ぐらい(1万分の1の確率)いるのではなかろうか。

ただし、私の場合は「死ぬ前においしいものを食べて、きれいなおじょうさんとチョメチョメしたい(年金受給者は安楽死の10日前に半年分の年金が政府から支給されるから、“プチ贅沢”が可能)」というものなので、実現不可能なのはよく自覚しております(笑)。

そういう私でありますから、2019年6月2日(日) 午後9時から放映されたNHKスペシャル「彼女は「安楽死」を選んだ」を観ることができたのは幸運でした。

放送では、彼女の死の瞬間までもきっちりカメラにとらえられていて、涙がとまりませんでした。

安らかな死でした。

私はお気楽に「安楽死」を語ってはならないと大いに反省したのでありました。

NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586161/index.html

(引用開始)

去年、一人の日本人女性が、スイスで安楽死を行った。女性は重い神経難病を患い、自分らしさを保ったまま亡くなりたいと願っていた。患者の死期を積極的に早める安楽死は日本では認められていない。そんな中で、民間の安楽死団体が、海外からも希望者を受け入れているスイスで安楽死することを希望する日本人が出始めている。この死を選んだ女性と、彼女の選択と向き合い続けた家族の姿は、私たちに何を問いかけるのか見つめる。

(引用終わり)

スイスの「安楽死」は厳密には「自殺幇助」でありまして、認められるためには「(今の医療技術では)不治の病」であることが客観的に認められて、本人が「自分自身で」「安楽死」を望むことが絶対条件となっている。

テレビでは「安楽死に必要な主要件」として次の4つが紹介されていた。

・耐え難い苦痛がある。
・明確な意思表示ができる。
・回復の見込みが無い。
・治療の代替手段が無い。

「安楽死」するために、は本人が自ら「致死薬」の入った点滴の底蓋をボタンで開けなければならない。

ボタンをpushしてから(薬液が体に入って)死ぬまで数分間かかるので、家族と最後の挨拶をかわす。

死ぬまでの本人及び介助者の行動(What your name?から始まり、あなたの目的は何ですか(私は死にたいですと答える)かで終わる質問や、点滴の開栓のしかたの説明、開栓後の死まで)はビデオに記録され警察に提出される(だから、不正に殺されるおそれはない。)。

NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」の放映で、「これを知れば日本で「安楽死」を望む人はいなくなる(by小笠原文雄)」のような誤解はなくなると思う。

これを知れば日本で「安楽死」を望む人はいなくなる(by小笠原文雄,IRONNA)
https://ironna.jp/article/8622

(引用開始)

スイスのディグニタスでは、安楽死を「自殺幇助」という形で行っています。あくまで「幇助」ですから、医師は直接的な行為はせず、死ぬことができる薬液をコップに入れ、「これを全部飲めば死ねますよ」と言って安楽死を望む人に渡すようです。

(引用終わり)

「~ようです」という表現で嘘をそのまま放置しておくのはまずいのではなかろうか。

最後に、NHKスペシャルの番組にコーディネーターとしても関わった宮下洋一氏の著書『安楽死を遂げた日本人』の紹介文をコピペしておきます。


安楽死はなぜ「希望」なのか――スイスに渡った彼女の選択
 『安楽死を遂げた日本人』(宮下洋一)(小学館,2019/06/02)
https://www.shogakukan.co.jp/news/214561

(引用開始)

昨年8月、筆者にメールが届いた。

送り主は、全身の自由を失う神経の難病を患い、いずれ胃ろうや人工呼吸に頼ることになる女性だった。

彼女は、寝たきりになる前に、死を遂げたいと切望する。

彼女は、筆者が前作『安楽死を遂げるまで』で取材したスイスの安楽死団体への入会を望み、そして、こう続ける。

〈私が私であるうちに安楽死を望みます〉

筆者は、彼女と面会し、彼女のスイス行きへの思いの強さを知った。

彼女は言った。

「死にたくても死ねない私にとって、安楽死は〝お守り〟のようなものです。安楽死は私に残された最後の希望の光です」

「私のような状態になった人間にあなたはどんな言葉をかけますか? 『かんばって生きて』とも『死んでくれ』とも言えないでしょう。かける言葉がないと思うんです」

一方で、彼女は家族から愛されていた。

また、身体は動かなくとも、読書やブログ執筆などをしながら、充実した一日を過ごしていた。(略)

日本では安楽死は違法だ。

日本人が自らの意志によって死を遂げるには、「自殺幇助(ほうじょ)」が容認されているスイスに向かうしかない。

自殺幇助とは、「医師から与えられた致死薬で、患者自身が命を絶つ行為」を指す。

スイスや米国・オーストラリアの一部の州で認められている行為だ。

しかしそれにはお金も時間もかかる。

彼女は病によって体の自由も失われている。

ハードルはあまりに高かった。(略)

しかし、彼女の強い思いは、海を越え、人々を動かしていった。

患者、家族、そして筆者の葛藤までをありのままに描き、日本人の死生観を揺さぶる渾身ドキュメント。

(引用終わり)

 

エッシャーとペンローズ三角形

 投稿者:マーキー  投稿日:2019年 6月 4日(火)16時46分53秒 59-190-238-253f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  記録のためのメモ。


69歳になると、「ボーっと生きてきたな」と思わされることがよく発生する(チコちゃんに叱られるかな(笑)。)。

「錯視の画家」エッシャー(1898-1972)の有名な「上昇・下降」、「滝」という作品は知ってたけど、それが「ペンローズ三角形」にインスパイアされたものであることは知らなかった。

(注:エッシャーの作品は以下で見ることができる。
WikiArt M.C.Escher  https://www.wikiart.org/en/m-c-escher

また、「ペンローズ三角形」が数理物理学者ロジャー・ペンローズ(Roger Penrose,1931-)若年の作であることも知らなかった。


きっかけは、ロジャー・ペンローズがまだ学生だった1954年、彼がアムステルダムで開催された国際会議に出席し、そのときたまたま開かれていたエッシャー展を訪れたことだった。

エッシャーの作品にインスパイアされたペンローズは、自分でも(錯視によって存在するように見えても)実際には成立不可能な図形について考えはじめ、「ペンローズ三角形」を思いついた。数学者であり物理学者でもあった父と一緒に、ペンローズは「無限階段」をデザインし、そのコピーをエッシャーに送った。これにインスパイアされて、エッシャーは「上昇・下降」、「滝」を生み出したのだった。

Cycles of Time: An Extraordinary New View of the Universe by Roger Penrose ? review(Guardian,2010/10/16)
https://www.theguardian.com/books/2010/oct/16/cycles-time-roger-penrose-review


以上のことを、ペンローズ自身が語ったのが佐藤文隆氏との対談である。


Dialogue/[対談]ロジャー・ペンローズ+佐藤文隆
https://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic025/html/110.html

(引用開始)

佐藤――エッシャーとはどのようにして関わりあうようになったのですか?

ペンローズ――エッシャーとつながりができたのは別の関心事を介してのことで,ケンブリッジの大学院に入った最初の年の終わり頃だったと思います,

私はアムステルダムで開かれた国際数学者会議に参加したんですが,その会議の席で,ある人が,とても不思議な絵の載ったパンフレットをもっているのを見かけました.

頼んで見せてもらったところ,それは,アムステルダムのどこかの美術館で開催されていた展覧会のカタログでした.それがエッシャーの展覧会だったんですね.併設展だったと思います.たしかヴァン・ゴッホ展があって,それに付随する小規模の展覧会が,エッシャー展でした.もちろん,私は見に行きました.それまで,エッシャーという名前すら聞いたことがなかったのですが,大変魅了され,私もパラドクシカルなものを作ってみようと思ったんです.

いろいろなデザインを考えて,最終的に到達したのが,この本の表紙にも使っている三角形です.これを作り出して,私はまず父に見せました.父はそれから,多種多様の不可能建築,不可能物体を作ることに専念しはじめ,やがて一つの階段を作り出しました.

(注:wikiに「ペンローズの階段」の解説と図がある。)

どこまで行っても果てがないという階段です.私たちは,これを紙に描いて,そのコピーをエッシャーに送りました.何と言っても,エッシャーは私たちに,こうした事物に熱中するきっかけを作った当人ですからね.エッシャーに見てもらいたいと思ったのは当然でしょう.

私たちが作り出した,この特別な階段は,エッシャーがそれまで見たことのないものでした.そして,彼はこれを発展させて《上昇と下降》(1960)という,彼の作品の中でも最もよく知られているものの一つに結実させたのです.


それから《滝》は,私たちのこの三角形をベースにしたものですね.その後,だいぶたってから,私は実際にエッシャーのもとを訪れて,私のタイリングの作品をいくつか見せました.非反復タイプではありませんが,きわめて複雑なものです.私の知る限り,エッシャーの最後の作品となったものは,私が見せたこのタイプの配列をベースにしています.

このように,エッシャーとのつながりは,言ってみればかなり個別的なものでした.不可能物体と特殊なタイルです.もっと生きていてほしかったですね.そうすれば,非反復タイプのタイルも見せることができたんですが.

(引用終わり)
 

藤井聡太七段、千日手経て勝利 竜王戦決勝トーナメント進出

 投稿者:マーキー  投稿日:2019年 6月 1日(土)23時22分48秒 59-190-238-253f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  5月31日(金)に行われた竜王戦4組ランキング戦決勝・千日手指しなおし局で、藤井聡太七段が菅井竜也七段に勝利し、竜王戦決勝トーナメント進出を決めた。

藤井七段、デビューから3期連続ランキング戦V(読売新聞オンライン,2019/06/01)
https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/20190601-OYT1T50022/

私は夕方からAbemaTVで観戦していたけど、10時から始まった一局は午後8時過ぎに千日手が成立して指し直しとなった。

千日手局は振り駒の結果、藤井七段は久しぶりに先手番となったが、菅井七段の独創的な三間飛車が冴えて、菅井七段が指しやすい展開に。しかし藤井七段の75手目じっと2八飛車と引いた手が受けの好手だったらしく、菅井七段もうまい寄せが見つけられず千日手が成立した。

藤井七段が受けの強さを見せて、千日手に逃れた一局だった。

千日手局 将棋 棋譜並べ ▲藤井聡太七段 △菅井竜也七段 第32期竜王戦 4組ランキング戦 決勝
https://www.youtube.com/watch?v=bQB-FxA1d6M



午後8時36分に指しなおし局が始まった。千日手が成立した時点での藤井七段の残り時間は36分だったので、規定により24分足して持ち時間1時間に、菅井七段は残り時間に24分足して持ち時間1時間51分にして、指し直し局は始まった。

先手番となった菅井七段は得意戦法である先手中飛車、後手番となった藤井七段は「五筋位取り」で対抗。大山康晴十五世名人全盛時代にみられた「昭和の将棋」のような展開になった。

解説の佐々木慎六段は、40手目△5五歩と後手が5筋の位を保った手をみて、「この形は先手が勝ちにくい」と自分の経験から話していた。

菅井七段は局後、「序盤でうまく指されて・・」と語っていたけど、このあたりを指していたと思う。

【棋譜】2019-05-31 竜王戦菅井竜也 七段 vs. 藤井聡太 七段 第32期竜王戦4組ランキング戦
https://shogidb2.com/games/efedc91f56675428e70cff5f505be46eca59ce1d#l6nl%2F1r3gkb1%2F2np1g1p1%2Fp1psspp1p%2F1p2p4%2F2PP1PP1P%2FPPBSG2P1%2F4R1SK1%2FLN3G1NL%20b%201P%2041

局後の感想戦で、菅井七段は「(49手目の)▲3七桂が悪かったですね」と話していた。

後手は、△7五歩(50手目)、▲同歩(51手目)、△同銀(52手目)、▲7六歩(53手目)、△6四銀(54手目)と歩を交換して、2歩を持ち駒にしたのが機敏だった。

先手は▲5九角(55手目)と引いて▲7八飛車を見せたが、後手は△4四角(56手目)と△2六角の歩取りを見せて△2七銀(57手目)を強要、そこで△2四歩(58手目)が好手だった。

次に後手から△2五歩とされると、▲同歩は△2六歩と銀頭に歩を打たれる手が激痛、▲同桂は△2四歩と桂馬を殺されて悪い。▲3七桂と桂馬をはねていなければ、角道が通っていて後手からの△2六歩はなかったのだ。


先手▲5六同金(75手目)の局面では、解説の戸辺七段と佐々木慎六段は「△4九銀の割打ち(飛車、金、両取り)が手堅い」と話していたが、藤井七段は△8六飛車(76手目)、▲同歩(77手目)、△4九銀(78手目)とした。これが好手。

先に飛車を切って角を入手してから、△4九銀と割打ちするのが正しい手順なのだった。

以下、先手の反撃を振り切って後手が94手で勝った。藤井七段にとって久しぶりの快勝の一局だった。

以下に、局後のインタビューを貼っておく。


藤井七段、千日手経て勝利 竜王戦決勝トーナメント進出(by佐藤圭司,朝日新聞DIGITAL, 2019/06/19 00:17)
https://digital.asahi.com/articles/ASM507GGCM50PTFC01M.html

(引用開始)

【将棋の第32期竜王戦のランキング戦4組の決勝「藤井聡太七段vs菅井竜也七段戦」終局直後の一問一答】

〈まず、勝った藤井七段に〉

――千日手指し直しの末に勝利を挙げた。本局を振り返って

藤井「指し直し局は、かなり、残り時間が少なかったんですけど、決断良く指すことが出来たかなあ、という気がします」

――どのあたりから、有利になったというふうに、意識されましたか?

藤井「▲5二歩に△5六歩と突いて、攻め合い勝ちを目指せそうな形にはなったかと思ったんですけど、その後、読みに無い手を指された場面もあって、最後まで分からないかな、というふうには思っていました」

――勝ちを意識したのは最終盤になってから?

藤井「はい。玉頭(ぎょくとう)周辺で戦いが起こっていたので、△2五桂と打って、こちらが厚くなったかなあ、という気がしました」

――これで3期連続ランキング戦(優勝)。デビューから3期連続ということでは史上初めてなんですけど。ランキング戦優勝と、本戦出場を決めました。このことについて感想を。

藤井「今年も竜王戦の本戦で戦えることをうれしく思いますし。上を目指していければな、というふうに思います」

――具体的な目標は、持っていらっしゃいますか?

藤井「本戦は強敵ばかりなので、目の前の一局一局に集中していけたらな、というふうに思っています」

〈続いて、敗れた菅井七段に〉

――日付がかわるまでの大激戦の末に、残念ながら敗れました。本局について振り返ると?

菅井「指し直し局は(藤井七段に)序盤でうまく指されて。ちょっと、勝負どころが無かったような気がしています」

――何か、誤算もあった?

菅井「そうですね。誤算というよりは、序盤で、こまかく、藤井さんにうまく指されてしまったかな、というふうに感じています」

――竜王戦の本戦には(この敗戦で)進めなくなったが、来期、昇級されて、ランキング戦3組での戦いになる。抱負は?

菅井「結果を残したいな、とは思っているんですけど、なかなか竜王戦では勝てていないので、結果を残せるように頑張りたいと思います」

〈両対局者に対して〉

――今回のカードは、公式戦3度目の闘い。藤井七段にとっては初勝利で、菅井七段にとっては初めて黒星がついた。これまでの2人の対局と比べて、(例えば)違う印象があった、といった感想がありますか?

藤井「菅井七段との過去の2局では、力の差を感じる場面もあって。今日の対局も、千日手局で非常に力強く指されて。途中、自信の無い場面もあったような気がします。△3三金からの構想が自分はまったく見えていなかったので、その後の指し回しも、菅井七段の力強さというものを感じました」

菅井「3局目ということですけど、そんなに意識というのはなくて、いつもどおり指そうとは思ってましたけど。今日の将棋は、うまく指されて、完敗かなというふうに感じています」

(引用終わり)
 

幻冬舎社長見城徹氏ツイートで自爆の件

 投稿者:マーキー  投稿日:2019年 5月30日(木)10時02分2秒 59-190-238-253f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  記録のためのメモ。


5月23日、幻冬舎のホームページに、同社代表取締役社長見城徹及び社員一同連名による「お詫び・訂正」が掲載された。

[お詫び・訂正](by 見城徹・幻冬舎社員一同,幻冬舎,2019/05/23)
https://www.gentosha.co.jp/news/n486.html

見城徹氏の津原泰水(やすみ)氏に対する「日本国紀」批判を理由とした自社からの文庫本出版取りやめとツイッターによる津原氏作品の実販売数の暴露、それに対する作家(ライター)達の反発、朝日新聞・毎日新聞の報道等々の騒動を、見城徹氏は自ら白旗を上げることによって終結を意図したといえる。

これは、業界内ではタブーである(らしい)実販売数公表に対する作家側の反発が想定以上に大きく、内田樹氏のように「幻冬舎ボイコット」の動きまで、ではじめたためである。

ことの本質が、「幻冬舎から出版予定の作者が幻冬舎の出版物を批判した場合は、批判した作者の新規出版を取りやめると圧力をかける」という「言論の自由の否定」である以上、作家側の反発は当然と言える。

新聞報道まで出ることによって、幻冬舎のイメージ低下は大きかった。

金のない私まで、見城徹氏の仕打ちに腹が立って『ヒッキーヒッキーシェイク (ハヤカワ文庫JA)』を予約注文したぐらいだから(笑)。

幻冬舎社長ツイートに批判 「日本国紀」巡り作家と対立(by宮田裕介、興野優平,朝日新聞DIGITAL,2019/05/17 23:55)
https://digital.asahi.com/articles/ASM5K4CQ0M5KUCVL012.html?iref=pc_extlink

(引用開始)

百田尚樹さんのベストセラー「日本国紀」を批判し、新刊の出版が取りやめになった作家をめぐって、版元である幻冬舎の見城(けんじょう)徹社長が投稿したツイートが物議を醸している。すぐに取り消したものの、業界の慣例を破ってまで、この作家を揶揄(やゆ)するような内容だった。ほかの作家たちの猛反発を招き、文化の担い手である出版社のあり方が問われる事態となった。

(引用終わり)


記録のために「お詫び」の一部を引用しておく(ほとぼりの冷めたころ、幻冬舎のホームページから削除される恐れがあるため)。


(引用開始)

弊社代表取締役社長・見城徹が、弊社から発刊した作家・津原泰水氏の単行本2冊の実売部数を5月16日(木)、Twitter上に投稿し公開してしまいました。

実売部数という出版社内で留めておくべき内部情報を、今回、見城が独断で公にしてしまったことに対して弁解の余地はありません。

改めて津原泰水氏にお詫び申し上げます。

この件は出版社として、作家の信頼性を著しく損なう言動であり、社長はじめ、社員一同、深く反省しております。

皆さまからの様々なご意見・疑問にこれですべてお答えできたとは思っておりませんが、今後、作家のみなさま、並びにその先にいる読者のみなさまに対し誠意を尽くして、信頼を回復していけるよう鋭意努めて参る所存です。

令和元年5月23日

株式会社 幻冬舎 代表取締役社長 見城徹
?????幻冬舎 社員一同

(引用終わり)


この「お詫び」で、初めて被害者である津原泰水氏に対して公式にお詫びがなされたのだった。

ちなみにこの「お詫び」に対して、百田尚樹氏は他人のツイートをリツイートするだけで、自らはスルー。5月24日に、幻冬舎出版取りやめ問題を報道した朝日新聞・毎日新聞の記事に問題があると以下のようにツイート。

「朝日新聞・毎日新聞は、前川喜平を「政権に屈しない英雄」に仕立て上げて安倍総理を攻撃したが、今回は『日本国紀』・百田尚樹・見城徹を貶めるため、津原泰水を「言論弾圧に屈しない英雄」に仕立て上げた。
津原が2ヵ月にわたって異常な数の中傷・侮辱ツイートを繰り返したことを隠しての報道だ。」

同じく、『日本国紀』に編集として参加した有本香氏は、5月24日に次のようにツイート。『日本国紀』のコピペ問題は編集者として大問題だと思うけど完全に無視(笑)。

「まさに既視感ある光景。謝罪は苦渋の決断だったと思うが、昨日の謝罪文アップの後、案の定、間髪入れず朝日毎日が蒸し返しを仕掛けてきた。T氏は狂言回しだから、いずれ実売部数の件とともに忘れ去られる。残り続けるのは朝日毎日のいう「日本国紀への疑い」。今後も機会を捉え泥を塗ろうとし続ける。」

百田尚樹氏も有本香氏も、「朝日新聞・毎日新聞が悪い」と言ってるけど、トランプ大統領が「CNNはフェイクニュースだ」と同じみたいで「まさに既視感ある光景」です(笑)。

ここまでも十分長かったけど、後半はさらに長いです。興味のあるかただけ読んで下さいませ(笑)。



そもそもの発端は、百田尚樹氏が昨年11月に出版した『日本国紀』(百田尚樹,幻冬舎,2018/11/12)にある。

「ノンフィクション」と銘打ちながらフィクションだらけの『純愛』(百田尚樹,幻冬舎,2014/11/7)を書いた百田氏の本だから、はなから信用しなかったけど、私が危惧したとおり発売直後に「コピペ本」という非難がネット上で盛り上がった。


「発売されるや否や、その記述の矛盾が次々に指摘されて騒動となっている百田尚樹の『日本国紀』(幻冬舎)。ネット上では有志による検証が着々と進んでおり、とくに盛り上がっているのがWikipedia等からの“コピペ疑惑”の追及だ。」

Wikiコピペ疑惑の百田尚樹『日本国紀』を真面目に検証してみた! 本質は安倍改憲を後押しするプロパガンダ本だ(by小杉みすず,LITERA,2018/11/20)
https://lite-ra.com/2018/11/post-4381.html


「『日本国紀』ではなく『日本コピペ紀』(笑)」という書き込みもあったようだ。ろだんさんによれば、2018年11月19日現在、39箇所にも上るコピペ疑惑が指摘された。

【日本コピペ紀】Wikipediaやウェブサイトなどとの類似表現報告まとめ【日の丸すら】(byろだん,論壇net,2019/11/19)
https://rondan.net/1923


津原泰水氏も、コピペだらけの本であることを自身のツイッターで批判。百田尚樹氏や『日本国紀』の編集に参加した有本香氏とも、ツイートの応酬があったという。

当時、津原氏は4月に発売予定の文庫本版「ヒッキーヒッキーシェイク」を幻冬舎から4月に出版予定でゲラのチェック等々の作業に追われていた。

正月休み明けの1月8日、幻冬舎の担当者から「社内の営業部より「社の出版物を批判する人の出版には協力できない」と言われている」旨のメールを発見。あわてて担当者に電話して話し合ったが、「会社に来て、いろいろ考えてみましたが、『ヒッキーヒッキーシェイク』を幻冬舎文庫に入れさせていただくことについて、諦めざるを得ないと思いました」、と編集者からメール。

結局津原氏は幻冬舎からの出版を断念。2月にハヤカワ文庫での出版が決まるまで心の整理ができなかったという。


津原氏がこの間の経緯をツイッターでもらすきっかけとなったのは、5月13日、「津原何とかって作家と百田尚樹の日本国紀騒動はもしやプロレスだったのでないかと疑っている」というツイートに、「冗談じゃない。幻冬舎から文庫だせなくなったんだぞ」と反応したこと。

5月14日には、「事実だとしたら大問題」という問い合わせに、「本当だから幻冬舎文庫4月刊がハヤカワ文庫6月刊になった。」、とツイート。一連の騒動の幕があがることになった。


「本当ですよ。だから幻冬舎文庫4月刊がハヤカワ文庫6月刊になった。出版社間の作品の取合いと誤解されないよう、沈黙していました。見城さんは人格者だしツイッターアカウントもお持ちなので、問えば正直に答えてくださるでしょう。「我が社の営業部は『日本国紀』を批判する作家の本は売らない」と。」


さらに、同日、ハヤカワ文庫編集担当の塩澤快浩氏がこうツイート。


「津原泰水さんの『ヒッキーヒッキーシェイク』(ハヤカワ文庫JA/6月6日発売)について一言だけ。幻冬舎さんとの間で何があったかは、僕のあずかり知るところではありません。ただ、この小説の素晴らしさに、文庫版が世に出ないことがあってはならないと義憤のような感情に駆られたことは確かです。続」

「実際のところ、僕の文芸編集者生活20年の中でも指折りの作品であると確信しています。この小説が読者に受け入れられないのであれば、もはやこの世界に文芸なるものは必要なく、僕が編集者でいる意味もない。「人にこのような美しい感情を抱いてもらうことにこそ、文芸の価値はあるのだと」。続」

「というわけで、僕の文芸編集者としての矜持をこめて、津原泰水『ヒッキーヒッキーシェイク』文庫版には、次のようなコピーをつけさせていただくことにしました。「この本が売れなかったら、私は編集者を辞めます。 早川書房 塩澤快浩」。よろしくお願いします。」


いやーしびれます。私もAmazonで予約注文しました。多分、この塩澤氏のツイートがきっかけで朝日新聞、毎日新聞に一報が入ったと想像する。

日刊スポーツは5月15日に「百田氏の著作権侵害指摘の作家、出版社の圧力訴える」と報道。津原氏は、「僕のツイートをつなぎあわせたもので、取材を受けていないので、(僕は)関知しません」、とツイート。

百田氏の著作権侵害指摘の作家、出版社の圧力訴える(日刊スポーツデジタル,2019/05/15 12:09)
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201905150000253.html

5月15日、津原氏は全面暴露のツイートを開始。幻冬舎の津原氏担当の編集者に圧力をかけたのは、幻冬舎営業部長であることを暴露。


「(1月8日)9時27分「年末から電話に出ていただけないのでメールを差し上げました。文庫ゲラについてのお尋ねもあったのですが、同時に、津原さんのツイッターについても…… 社内でも『どうしてここまで?』と白い目で見られ、ついに私も肩身が狭く居心地悪くなってきました」とのメール。」

「久々に携帯電話を確認しましたら、びっしりと着信履歴。で、折返した。出勤中だったみたいで駅にいらっしゃるような背景音。誰が文句を云っているのか、僕にどうしてほしいのかを問いました。ごにょごにょと誤魔化すので何度も問いました。前者についてのみ「営業部長」との回答を引き出しました。」

「要求を云えないんですよ、云えば違法だから。「そうですねえ……まあなんとか」と甘え声を出すばかり。「営業が協力できないって、幻冬舎文庫に入れても死蔵される、無駄弾ってことだよね? それ背任じゃないの?」とは云いましたね。遅刻すると可哀相なので、ちゃんと考えてくれと早めに切りました。」

「やり取りの大半はメール。「会社に来て、いろいろ考えてみましたが、『ヒッキーヒッキーシェイク』を幻冬舎文庫に入れさせていただくことについて、諦めざるを得ないと思いました」と1月8日15時54分受信の担当メールに残っています。これを読み、僕の方から袂を分かったと感じる人はいないでしょう。」

「以上を固く黙っていたことで、僕が幻冬舎の面々を恨むどころか庇っていたこと、広くご理解いただけたかと思います。出版界の信頼にかけての批判行為をプロレス呼ばわりされなければ、たぶん全部、ずっと黙っていましたし、新聞で大嘘をつかれなければ、こうしてメールの一端を出したりもしなかった。」


5月16日、幻冬舎社長見城徹氏が自らのツイッターを更新し、津原氏とは双方了解した上で出版を取りやめたのであり、「何故今頃持ち出すのか」と非難。さらに件の『ヒッキーヒッキーシェイク』は1800部しか売れなかったが、編集者の熱意に負けて文庫化を決断したと明かした。


「こちらからは文庫化停止は1度も申し上げておりません。担当者はずっと沈黙していましたが、(「日本国紀」に対する)あまりのツイートの酷さに『これでは私(編集者)が困ります』と申し上げたところ『それでは袂を分かちましょう』と言われ、全く平和裡に袂を分かったのが経緯です。他社からその文庫が出る直前に何で今更?」

「津原泰水さんの幻冬舎での1冊目。僕は出版をちゅうちょしましたが担当者の熱い想いに負けてOKを出しました。初版5000部、実売1000部も行きませんでした。2冊目が今回の本で僕や営業局の反対を押し切ってまたもや担当者が頑張りました。実売1800でしたが、担当者の心意気にかけて文庫化も決断しました」


これに、作家の高橋源一郎氏が次のようにツイート。実販売数は個人情報であり、それを公表するとは作家に対するリスペクトがないと非難。

「「見城さん、出版社のトップとして、これはないよ。本が売れなかったら『あなたの本は売れないからうちでは扱わない』と当人にいえばいいだけ。それで文句をいう著者はいない。でも『個人情報』を晒して『この人の本は売れませんよ』と触れ回るなんて作家に最低限のリスペクトがあるとできないはずだが」


作家の倉数茂氏は、「(幻冬舎は)売り上げが悪いならでてけ、という単なる場所貸し会社じゃないか」と非難。

「信じられないこと 出版社の社長が自社で出した本の部数が少ないと作家を晒しあげる。ふつう編集者や営業は、一緒に作った本が売れなかった時『力が及びませんでした、残念です』というものだよ。もちろん同じことを作家は編集者たちに思っている。見城氏は作家ばかりでなく、自社の社員もバカにしている。商品としての本は、作家だけじゃない、編集者、デザイナー、営業、みんなで作るものじゃないか。もちろんこんな業界の基本のキを知らないわけがない。これじゃあ売り上げが悪いならでてけ、という単なる場所貸し会社じゃないか」


ミステリー評論家の千街晶之氏は「幻冬舎から本を出している作家たちも怒りの声を上げている現状を、幻冬舎の他の人たちは認識してほしい。」、とツイート。

「たぶん社長にはもう言葉は通じないと思うが、幻冬舎から本を出している作家たちも怒りの声を上げている現状を、幻冬舎の他の人たちは認識してほしい。幻冬舎から出した本で推協賞をとったばかりの葉真中顕氏が、その恩義ある版元に怒りを表明せざるを得ない心境をあなたたちは受け止めるべきだ」


そして、5月17日、朝日新聞、毎日新聞が見城徹氏のツイートとそれに対する作家側からの反発を記事にする。

以下、いろいろあったわけでありますが、コピペするのにも疲れたので終わりにします(笑)。

最後まで読んで下さった方々に感謝します。


 

一世一代の恋

 投稿者:マーキー  投稿日:2019年 5月23日(木)15時04分31秒 59-190-238-253f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  「これ、おもしろいから読んだら」と言って、昨日の夕方女房殿見せてくれたのが、「天然生活」という雑誌に載っていた「一世一代の恋」というエッセイ。作者は朝吹真理子氏。

一読して大笑い。エッセイの傑作であります。

よっぽど鬱屈した顔してたのかな、女房殿の心づかいに感謝感謝であります。

朝吹真理子氏が芥川賞受賞作家であることは承知していた。将棋名人戦の観戦記は読んだ記憶はあるが、氏の小説を読んだことはない。

ジャン・ジュネの翻訳で有名な朝吹三吉氏や、フランソワーズ・サガンの小説を日本に広めた朝吹登水子氏と関係があるのではとwiki調べたら、朝吹三吉氏は祖父, 登水子氏は大叔母でありました。

Wikipediaには、「朝吹真理子(あさぶき まりこ、1984年12月19日 - ):東京都出身。慶應義塾大学大学院文学研究科国文学専攻修士課程修了。近世歌舞伎を専攻し、修士論文のテーマは鶴屋南北。」とあるから、すじの良いお嬢さまと言ってよい。

図書館に行くことがあったら、彼女の芥川賞受賞作「きことわ」を読んでみようと思いました。

以下は、「一世一代の恋」の引用です。行かえは筆者によるものです。


一世一代の恋(by朝吹真理子,天然生活,2018,7月号,pp.12-13)

(引用開始)

整理整頓できるひとは、分類が上手なひとだと思う。私は分類がわからないのでものの配置が決められず、漫然と出し入れするうちに散らかってしまう。

三年ほど前、つきあい始めたばかりの恋人とデートの約束があった日に、風邪をひいた。葛根湯を飲みながらキャンセルの連絡をいれると、心配している彼が、お見舞いに来たい、と言った。

突き合って一ヶ月経ったころで、彼はまだ私の部屋に入ったことがなかった。

恋人は、私に比して、非常に清潔なひとで、いつもモルトブラウンやエルメスのボディシャンプーの匂いがした。シャツにしわは寄ってないし、借りたてぬぐいもぴんと張っていた。鞄のなかは大小さまざまなポーチで整頓されていた。分類が自然と身についているひとのようだった。

彼の部屋を訪ねたときも、木や香水が整然と並び、手入れされた植物がいたるところに茂っていて、ものにきちんと居場所があった。

彼の部屋を思い出しながら、私はじぶんの部屋をみて愕然とした。

なぜ書斎のランプにブラジャーがひっかかっているのか、わからなかった。

洗濯物がソファに積み上がり、漢方、ボディローション、本、印鑑、目薬、ティバッグ、ものがいたるところに散っていて、まとまりのない空間がひろがっている。何よりベランダの植物は無残に枯れていた。

このままだと百年の恋も冷められてしまうと思った。絶対来てもらってはいけない。

会いたいけれど、うつしてはいけないし、部屋が散らかっているから恥ずかしい。そう彼にラインを送ると、すぐ、気にしない、という優しい返事が来る。結局、彼が見舞ってくれることになった。

私は微熱した体で片付けようと、とりあえずランプの上のブラジャーを持って洗濯籠にいれる。

体がだるくて思うように動けず、私は徒歩で十五分のところに住んでいる母に電話をした。

一世一代の恋のためにどうか片付けを手伝ってください、と懇願した。私の声に気迫があったのか、母が急いで家に来てくれた。

とりあえず、小学生のころのロッカーのように、なんでもかんでも母と二人でクローゼットにおしこんだ。枯れてしまったオリーブの木はベランダのはじに隠した。

何もしらない恋人が、レトルトのお粥やエアプランツとともにやってくる。入るなり、そんなに散らかってないよ、と笑顔で言った。

それはそうだ、母と片付けたからだと思いながら、私は曖昧な笑みを浮かべた。

その後、私の一世一代の恋は実り、綺麗好きの恋人は夫になった。

(引用終わり)

 

加藤典洋氏の訃報を知って調べてみた

 投稿者:マーキー  投稿日:2019年 5月21日(火)15時23分20秒 59-190-238-253f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  今朝、新聞に加藤典洋氏の訃報が載っていた。

訃報 加藤典洋さん 71歳=文芸評論家(毎日新聞デジタル,2019/05/21)
https://mainichi.jp/articles/20190521/ddm/041/060/106000c

(引用開始)

「敗戦後論」「戦後的思考」などの評論で戦後日本の思想と社会を問い直した、全共闘世代を代表する文芸評論家の加藤典洋(かとう・のりひろ)さんが16日、肺炎のため死去した。71歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻厚子(あつこ)さん。

山形市生まれ。東大文学部卒。在学中に全共闘運動に参加し、初め小説、次いで評論を書き始めた。国立国会図書館に勤務の傍ら、1982年に評論「『アメリカ』の影」を発表し、本格的な執筆活動に入った。85年刊行の評論集「アメリカの影」で新進評論家として注目された。86年から明治学院大助教授(のち教授)、2005~14年早稲田大教授。

(引用終わり)

加藤典洋氏については「村上春樹さんを高く評価している人」程度の認識しかなく、特に興味もなかった。

ただ訃報の「東大在学中に全共闘運動に参加」が気になって少し調べてみた。

「元過激派学生」のジジーには、全共闘運動とのかかわり方が気になるのよ(笑)。

「加藤典洋 東大全共闘」でGoogleしたら、面白いインタビュー記事を見つけた。

良本を作る上で欠かせない「人」と「場所」 早稲田大学教授・文芸評論家 加藤典洋(聞き手:沖中幸太郎,BOOKSCAN,2013)
https://www.bookscan.co.jp/interviewarticle/256/all

そこでは件の全共闘活動についても触れられており、ノンセクトだったことがわかった。革マルじゃなくて良かった(笑)。


興味深かったところを引用しておく。

「山形市の、教会付属の幼稚園の向かい側に住んでいたんですが、当時はベビーブームですごく子どもが多くてなんと入園試験がありました。で、僕は「さしすせそ」と「たちつてと」が上手く発音できなくて見事落第したんです。」

「さしすせそ」と「たちつてと」が上手く発音できなくて幼稚園に入れなかったというのはすごい(笑)。

小学校6年生の転校先では友達もできず読書に集中したとのこと。

「その小学校6年の頃が生涯で一番本を読んだ時期かもしれません。

まず貸本屋に行った。そこで漫画を借りました。圧倒的に白土三平ですね、あとつげ義春、さいとうたかを。みなその頃は無名でしたが、あっというまに独力で発見してしまいました。すごい、面白い! って。特に白土三平の『忍者武芸帳』を読んだ時には、こんなに面白い漫画があるのかと身体がふるえるくらいでした。

1日10円の小遣いで、めぼしいものを全部読み、読むものがなくなったので、次に講談社の『少年少女世界文学全集』を借り出しました。1日で読み切らなくてはいけないので食事の時間も惜しんでほぼ毎日読んでいました。」

貸本屋があったのがうらやましい。私が住んでいたところには貸本屋がなかったので、地下鉄に乗って名古屋駅裏にあった怪しげな本屋まで、当時青林堂からでていた『刑事』(月刊誌)とか、さいとうたかをの「台風五郎」を買いに行ったことを懐かしく思い出す。

水木しげるの「墓場の鬼太郎」(後に少年マガジンで連載した時に「ゲゲゲの鬼太郎」と改題)もリアルタイムで読んでました(ちょっと自慢w)。

加藤典洋氏が東大文学部に入学したのは1966年。ビートルズが7月に来日した年。女友だちに連れられて新宿の風月堂に行って、そのままフーテンになったという。

うらやましー(笑)。

「66年に入学しましたが、時代が沸騰していました。まずやったことは女の子と付きあうこと? その女友達がいろいろと面白いところを知っていて、新宿の風月堂というヒッピーのような人が集まる喫茶店に連れて行かれ、僕もマネして入り浸ることにしました。それで1年目は、その流れでそのままフーテンになりましたね(笑)。新宿2丁目の地下2階に「LSD」という店があり、地下一階は、「DADA」という店でした。」

加藤典洋氏が学生運動にかかわるきっかけは、1967年10月8日の羽田闘争だった。「山崎博昭という京大の学生が死んだのを知り、大きなショックを受けました。」

「10・11の第二次羽田闘争というのに参加した。それが僕のはじめてのデモ参加ですが、とんでもない目に遭いました(笑)。」

「活動家の友人に「逃げるぞ」といわれ、後をついて民家の茶の間のようなところを土足で駆け抜けて逃げるのですが、どこまでも警察の人が追ってくるんですね。なかなかあきらめてくれない。するとその友達が、「お前は先に行け」と言って、立ち小便をしだしました。その友達は地下足袋を履いていて、立ち小便姿をみると、土方のお兄ちゃんなんです。この友人は、土方仕事のアルバイトもしていた。警察もまさか活動家が地下足袋を履いてるとは思わない。」

ふふ小説みたい。地下足袋を履いてデモに参加というのがカッケーです(笑)。

「僕は結局、一度も捕まっていません。実は、親が警察官だったので、捕まるわけにはいかなかったんです。」

「安田講堂の時も、前日まで中にいたんです。当時、高校の先輩が東大文学部の自治会委員長をしていたのです。彼は革マル(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義)派で僕はノンセクトでしたから、普段はあわないのですが、その時たまたま階段ですれ違ったら、「君は親父さんが警察だろう、明日はどうもやばそうなのでレポにまわれ」といってくれた。レポというのは外で警察の動きを監視して、その都度報告する役目です。それで、安田講堂の日はたまたま外にいた。で、捕まらないですみました。」

いい話ですなー。捕まらなくて良かったです。

「機動隊が東大の学内に入って来た時に機動隊員に向かって学生が「お前ら小学校を出たのか」といったんです。僕はその後ろに立っていました。僕の父親もノンキャリアです。家が破産して学業を途中でやめて巡査からはじめています。全共闘なんていってもこんなものだな、自分も含めてみんなバカなやつらだ、と思いながら、そこにいました。まあ、どこでも孤立していたといってよいでしょう。寺山修司などもそのはずですが、僕の周辺の文芸評論家とか物書きには、けっこう警察官とか自衛官の子どもという人が多いんですね。その理由は少しわかる。こういう人間は、人と一緒には感じられない。それで、自分一人で、流れの外で考えるようになるんです。」

「自分一人で、流れの外で考えるようになる。」か、カッケーです。

加藤典洋氏の処女作「アメリカの影」は機会があれば読んでみたいと思います。

加藤典洋氏はニューヨークタイムズにも寄稿していて以下で読むことができます。


Norihiro Kato
News about Norihiro Kato, including commentary and archival articles published in The New York Times.
https://www.nytimes.com/topic/person/norihiro-kato
 

夏風邪

 投稿者:マーキー  投稿日:2019年 5月16日(木)12時06分48秒 59-190-238-253f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  風邪をひいてしまい、5月13日(月)、14日(火)の両日床についていた。

女房殿が先週同じような風邪で床についていたので、それがうつったということだろう。

14日(火)はだいぶ楽になって、本でも読もうかという気になった。

どうせすぐに寝ちゃうんだからということで、『梅暦』(為永春水、岩波文庫)をパラパラ。

奥付きを見ると、「昭和47年(1972)12月20日第6刷発行」とあるから、1973年以降に購入したのだろう。

「過激派学生」をやめて、大学にもいけず鬱屈していた時期のはず。

田舎にわび住まいの若旦那が芸者さんにモテル、というストーリーが気にいったのかな(笑)。

文庫本だけど、ちゃんと当時の挿絵も入っていておススメであります。

8頁ほど読んだら眠くなってよく眠れました(笑)。
 

英語の世紀に生きる苦悩

 投稿者:マーキー  投稿日:2019年 4月30日(火)21時40分17秒 59-190-238-253f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  以下は2008年11月10日にコピペしたもの。

この当時は、英語が小学校から必修化されるとは誰も予想できなかったと思う。

インターネットによって、世界第一位の国の言語が必須になるのはある意味当然のことに違いない。

1500年前のわれらの祖先は中国から文字を輸入し、それを利用して自らの言語を文字化する工夫を始めた。

その精華が万葉集として結実したのだった。

万葉集が編まれた奈良時代は、日本語、中国語、朝鮮語がとびかう国際化時代だった。

当時の日本人が現代の我々と同じような悩みを抱えていたと想像すると何だか楽しくなってくるのが不思議です(笑)。





英語の世紀に生きる苦悩(by江島健太郎, 2008/11/10 20:50)


私には、英語コンプレックスがある。

米国で暮らすようになって三年が経ったけれども、いまだに思うように英語で話すことができない。むしろ、三年も経ってしまったのにこんなザマでどうしよう、という焦りからか、そのコンプレックスは肥大化を続ける一方である。

昔からそうだったわけではない。高校時代には普通科ではなく「国際科」と名のついたクラスに通い、カナダにホームステイなんかもして、試験でも一番いい点が稼げる得意科目が英語だった。むしろ、ちょっとばかり英語には自信があったほうなのである。

そのことは、私が幼い頃パソコン少年だったことと少し関係がある。当時から、コンピュータの世界の中心といえばアメリカだった。プログラミングをしていても、関数につけられた名前の英語のニュアンスがわからずに丸暗記せざるをえなかったのが、意味がわかってしまえばパァッと視界が開けて概念間のつながりや命名規則が見えるようになり、英語が母国語でないというだけで損をしてると感じることが何度となくあった。だから、中学校に入れば英語が学べるということで、たいそうワクワクしたものだった。英語だけは将来かならず役に立つだろうという予感があったのだ。

そんなこともあって、様々な経緯あっていよいよアメリカに、しかもパソコン少年の聖地シリコンバレーに行けるとなったときには、心から嬉しかったのは言うまでもない。アメリカにいけば英語もペラペラになるだろうな、一年ぐらいかな、二年ぐらいかな、なんて無邪気な期待に胸を踊らせていた。

ところが、である。アメリカで暮らし、アメリカ人と一緒に仕事をしているからといって、それだけで英語が流暢に話せるようになるわけではない。日々の生活や仕事に必要なコミュニケーションはできるようになっても、そのことと英語でのソーシャライズ、つまり親密な交友ができるということの間には無限の開きがある。

渡米して一年目ぐらいの頃は、まだ良かった。まだ英語に堪能でないのは当然のことと思えたし、「まだ日本から来たばかりなので」と外国人ヅラをしていればそれが免罪符として使えたのである。しかし、二年、三年と経つにつれ、次第に自分の学習カーブが鈍ってきたことを悟り、それまで想像もしなかったことであるが、英語に対して愛憎入り乱れた複雑な思いを抱くようになったのである。

そのようなことを一番実感するのは、パーティに招待されたときだ。とくに若くて頭のいい子たちが集まるスノッブなパーティはことさら苦痛だ。このあたりのアメリカ人は英語の不自由な外国人に慣れているから、真剣に話せばじっくり聞こうとしてはくれるのだけれど、自分たちが話すときには暗喩的なレトリックを多用しながらマシンガンのように言葉を発し、どんどん話題を切り替えていくから、聞いてるこっちは今何について言及しているのかよくわからなくなる。そうなると、気の利いたジョークのひとつでも挟もうにも、文脈がよく見えてないのでハズしてたらどうしよう、などとモタモタしているうちに口に出すタイミングを逃してしまう。そうやって、ああ、相手の心に刺さるようなことが言えていないな、自分の存在を認定してもらえてないな、というのがすぐにわかってしまう。ハイエクやアリストテレスの言ったことを引用しようにも、彼らの名前をどう発音するのかすらわからない。

仕事でつかう英語というのは目的がはっきりしているから、そのようなレトリックはそれほど重要ではない。相手のジョークがわからなければ、無粋でも堂々と聞き返せばいい。ちょっと恥ずかしくても、仕事が進むことが重要なのだと割り切ることができる。ところが、パーソナルな付き合いの場面ではそういうわけにはいかない。「日本語でなら伝えられるのに英語では伝えられないこと」のもどかしさに自分が情けなく感じられ、ストレスが溜まるばかりである。

それが逃げてはいけないストレスであることはわかっている。言語学習とは単語や文法ではなく文化まるごとの体得なのであるから、そうやって場数を踏むことだけが唯一の道である。しかし、結婚して二人で暮らしていることや元来の性分的なことなど色々に事情が重なって、その道から何度も足を踏み外し、今のようなていたらくなのである。いよいよ永住権でも申請してアメリカに根を下ろそうかと考えている今でも、英語ペラペラの見通しについては年々悲観的になっていく。アメリカに暮らすだけで英語がグングン上達するに違いないという当初の無邪気な期待はしゅるしゅるとしぼみ、このまま永遠に英語ペラペラの日はこないのではないか、というどす黒い不安ばかりが鬱積されていく。

実は、一歩退いて客観的にみれば、まったく上達していないというわけではない。とりわけ読み書きに関しては着実な成長を実感しているのだが、より難解な文章が読めるようになるにつれ、英語という言語の持つ奥深さに打たれ、知的な喜びがある一方で、同時にますます途方に暮れてしまうのだ。

よく考えてみれば、日本語でさえ、単に用件を伝えるということではない、知識人をうならせるような表現をすることは容易でない。日本語でさえ、文章では可能な精密な議論が対面ではできなかったり、口頭では伝えられるやわらかいニュアンスが書き言葉ではそげ落ちてしまう。日本語でさえ、口ごもったり、滑舌が悪くなったり、間を持たせられず、気まずい思いをすることは少なくない。だから、ガイコク語である英語で気まずい思いをすることは、理屈からいっても当たり前のことだ。そうやって自分を励ましてみたりもするのだが、そうした楽観的な解釈は「とはいえ、もう三年も住んでいるのに」の数字が増えていくにつれ、だんだん説得力を失っていく。

逃げたい。英語が話せないというハンデのあるこの世界から逃げ出してしまいたい。そういう妄想に駆られつつ、その逃げ帰る先であるところの日本語、自分にとって居心地のよい言説空間である日本語は、果たして本当に楽園なのだろうか、という板挟みにずいぶん苦しんでいた。まさにそんな頃だった。新潮の「日本語が亡びるとき」という長編の論考(単行本の冒頭三章にあたる)を読んだのである。

正直いって、最初このタイトルには惹かれなかった。水村美苗という作家のこともよく知らなかったし、よくある「上から目線の憂国論」や「英語礼賛」のたぐいなのではないか、という疑念がすぐに浮かんだ。まるでハンティントンにこてんぱんにやられたフランシス・フクヤマのような大袈裟なネーミングセンスには、心ある読者を遠ざける何かがあるように思われる。しかし、とはいえあの新潮の特別評論である。何か得るものがあるに違いない。

と、不承不承いったん読み始めると、すぐにページをめくる手が止まらなくなった。「12歳で父親の仕事で家族とともにニューヨークに渡り、それ以来ずっとアメリカにも英語にもなじめず、親が娘のためにともってきた日本語の古い小説ばかり読み日本に恋いこがれたまま、なんと20年もアメリカに居続けてしまった」という驚くべき経歴をもつ著者の体験した苦しみ、悩み、葛藤が赤裸々に語られ、いや赤裸々に語られるどころか、それを主軸としながらどんどん物語が展開していくのである。「アメリカと英語を避けるうちに、ご苦労さまなことに、大学、さらに大学院でフランス文学を専攻したりもした。さまざなま要因が重なってかくもわけのわからぬ人生を送るはめになってしまったのだが、そういう人生を送ってしまったという事実は、それに触れずには何も書けないほど、私のすべてを条件づけてしまった」という著者の語る言葉には、読む者を惹きつけて離さない磁場があった。

以前に「文字とメディアの文明史」という小論で、ヒトとサルを分かつものはゴシップとフィクションによる権力構造、平たくいえばウソで他者を洗脳する言語能力の獲得であると書いたことがある。このとき念頭にあったのはもちろんベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」で、これは国家の成立やナショナリズムという難解な概念を理解する上では避けて通れない古典であった。しかしこの著者は、多言語主義者であったアンダーソンの議論に対し、アンダーソン自身が英語を母語とする人間であったがゆえに、すでに現出しつつあった英語の普遍語としての特異性を見落としていたと批判する。「想像の共同体」があそこまでの影響力をもちえたのも、この本が英語で書かれたという事実に大いに負うところがあるが、英語で書く人間だけには、そういうことが見えてこない、というのである。

このあたりから著者の言葉は急激に切れ味を増し、宗教、科学、哲学、経済学、法学、文学などの世界で起きた史実を縦横無尽に参照しながら、あらゆる国のあらゆる人物を登場させながら、それらを可能たらしめた「言語」というパースペクティブを執拗に、それこそ完膚無きまでに徹底的にほじくり返しているのである。そして、ゴシップのための言葉、現地語としての「母国語」で学問や文学ができると信じられた時期こそが例外的な事象であって、長い人類の歴史を振り返れば、地球のほんの限られた地域で、ほんのわずかなあいだのことでしかなかったと喝破する。そして明治維新からの100年をかけて花ひらいていった日本文学という言語空間が、嗚呼、いまでは世界性から取り残された人たちのふきだまりとなりつつあるというのである。

こんな肝心のところで冒頭三章は終わってしまう。残り四章が含まれた全文は、アマゾンで購入して太平洋を渡って届くのを首を長くして待っているところである。久々に手応えのある、しかも皮肉なことに「日本語ネイティブの」文明論であった。思うに、本書は読者にそれなりの教養を要求する。タイトルのキャッチーさはともかく、内容の知的水準は一流だ。アマゾンですでに一位にランクされているようだが、この要旨が万人に理解可能だとはとても思えない。だから某所での「読むまでもない」だの「読む気がしない」だの、くだを巻いて読まない理由を見つけたい人には、そうしていただいて大いに結構である。しかし、もしあなたが本当に日本と日本語を愛し、この世界のゆく末がどうなるのかを知りたいと思っている、知的好奇心の旺盛な人であるならば、タイトルに騙されず一読して欲しい。その価値はあると申し上げておこう。

話がそれた。

ともかくそんなわけで、英語というハンデのあるこの世界から逃げたいと思いつつ、しかしそれが短期的には自分を楽にしてはくれても、長い目で見ればどうにも間違っていることのように思え、アイデンティティ・クライシスに悶々と悩まされていたところにこの出会いがあったわけである。今なおジタバタしている真っ最中ではあるが、その暗中模索にひとつ、光の差す方角を示してくれたのが本論であった。

アメリカに住むことで、より日本のことがわかるようになる、というのは逆説でもなんでもない。今まで当たり前であったことが当たり前でなくなることによって初めて、日本文化に通底していた暗黙の前提が浮き彫りになってくる。日本という国の不思議さと、アメリカという国の深さが同時に見えるようになってくる。肝心なのは、それが見えてしまうことで生じる、ある種の精神的な危機をどうやって乗り越えていくかという、現実的で具体的な問題のほうである。安易な日本批判に走るのも一つの逃げ道である。安易な米国批判に耽るのも同じことである。しかし、ここで両者のもつ価値観に対して等しく誠実であろうとすると、これはまったく容易ではない。どちら側も自分の味方につけることができない宙ぶらりんの状態になってしまうからだ。

いつも言っていることだが、渡米前に心配していたようなことはたいていが杞憂に終わり、渡米前に期待していたようなことはたいていが大きな勘違いで、渡米前には想像もしなかったようなことに悩まされたり喜びがあったり活路があったりする。そんなことばかりである。私は貧乏性の心配性なので、事前にあれこれ研究して万全を尽くしてから臨もうとするタイプの人間だったのだが、もうここまで外れてしまうと開き直るしかない。だから、これから渡米する人に私がアドバイスできることがあるとしたら、「心配しなくていいよ、どうせ心配してることは全部外れるから」ということぐらいだろう。

多くの人がうすうす感じているように、英語の世紀というのは、率直にいって、もう避けて通ることができない現実のように思われる。しかし、人生は短い。それがわかっていても、いま現在の安寧をもとめ、英語というハンデのある世界に背を向け、それなりに豊かな日本語の世界に逃げ込んだとしても、日本語が実際に凋落してしまう前に寿命を迎えて逃げ切れるのであれば、一世代の戦略としては正しい。しかしそれは、ますます今後も勢力を増すばかりの英語の世紀にあっては、子孫に負債を残すことにならないだろうか。念のためいっておくと、私はそのことに対して大上段な義憤を感じているとか、こうすべきだとか、そういうことを言いたいのでは決してない。しかし反対に、このような思いを共有し、あえて心地よい日本語の世界から一歩踏み出し、不自由な英語の世界に身を投じようとする人がいるのなら、少しでも応援したいと思い、その心細さを少しでも分かち合いたいと思い、このような文章でもものしてみようかと思ったまでのことである。

来年の3月21日にはJTPA シリコンバレー・カンファレンス 2009が行われる。これまでの至れり尽くせりな「シリコンバレー・ツアー」から趣向を変えて、今回から先着順のカンファレンス形式になった。私も当日は丸一日現地にいる予定だ。このような取り組みが、少しでも日本の人たちを明るく前向きにしていくための一助となるならば、望外の幸せというものである。



 

「検察の劣化」魚住 昭×郷原信郎

 投稿者:マーキー  投稿日:2019年 4月30日(火)21時06分54秒 59-190-238-253f1.shg1.eonet.ne.jp
返信・引用
  以下は、2009年5月15日にコピペしたもの。

ゴーン氏逮捕にみられるような「国策捜査」は10年以上前から常態化していたことがわかる。

こんな国にすんでいるしかないんだかさー。

かってボードレールが詠ったように、「ここ以外ならどこへでも」という気分にもなるというもの。

しかしネット社会のおかげで、安住の地は地球上のどこにもなくなってしまったのであります(泣)。


*****


起訴から1カ月以上たち、あれだけ激しかった「西松建設事件」の報道はほとんど見ることがなくなった。振り返れば、この間、マスコミは報道機関として何をしたのか。単に“劣化”した検察に追従しただけだったのではないか。元検事の郷原信郎氏とジャーナリスト・魚住昭氏が、一連のマスコミ報道を徹底検証した。(週刊朝日5月15日号から転載)

***

魚住)皮肉っぽく言えば、各全国紙を見ていて、今回の「西松建設事件」を巡る報道は、従来の検察報道に比べればかなりマシだとも言えるんですよね。
 例えば、小沢一郎・民主党代表の第1秘書、大久保隆規被告が起訴された際、毎日新聞(3月25日付朝刊)は社会部長名で「検察は説明責任果たせ」とのタイトルで解説を載せました。これは、なぜ総選挙間近のこの時期に、この程度の容疑で野党第1党代表の側近を立件したのか、と強く疑問を投げかける記事でした。僕の知る限り、大新聞がここまで検察を面と向かって批判することは、これまではなかったことです。
 一連のマスコミ報道を見ると、もちろん全体的には検察主導の報道合戦がずっと続いたわけですが、この毎日新聞を筆頭に、各紙が一定の検察批判をせざるを得なかったのは、それほど捜査が異様だったということでしょう。

郷原)今回の事件は、これまでの特捜事件とはまったく違う、“異常”な捜査だと思います。その異常性からすると大手新聞やテレビの検察批判は、全然足りない。
 結局、基本的にはこれまでと同様、検察の意向に沿った報道でした。それは、日本という国が実は、物凄く遅れた国だということで、暗澹たる思いです。日本は近代国家・法治国家だと思っていましたが、実は違ったのです。
 今回の検察の政治への介入に対しては、憲法上の三権分立(立法・行政・司法)とは違った意味で、政治・メディア・検察の三つの権力がお互いに均衡関係を保つことが必要なのに、今回、メディアも政治も司法に対してまったく「抑制作用」を果たすことができないことがわかったのです。

魚住)先日、霞が関の道ばたで元検察高官とばったり会ったのですが、
「今回の検察のやり方はヒドいじゃないですか?」と言ったら、
「そんなことはない。『国民の目線』で捜査をしなきゃいけないんだ」と答えた。
「なるほどね」と思いましたよ。
 恐らく、樋渡利秋検事総長以下、特捜の現場の検事もみんな、そう思っていることでしょう。
内心では摘発のための“ハードル”を大きく下げたとわかっていながら、われわれは「国民の目線」で必要なことをしているのだ──という論理です。
 でも、その言葉のウラには、彼らの密かな欲求が隠されている。一つは、検事たちの目立ちたいという個人的な欲求。もう一つが、摘発のハードルを極めて低くすることによって、検察の威信、検察の政治権力に対する影響力を増大させたいという組織的な欲求です。彼らは「国民の目線」という言葉で、これらの欲求を覆い隠しているんです。

郷原)これまでも検察の中では、小さな政治資金規正法違反事件などでも違法は違法なんだから片っ端から捕まえてしまえばいい──と思っていた人間はいたでしょう。でも、検察内でゴーサインが出なかった。なぜかというと、世の中がそれを許さないと思っていたからなんですね。
 今回の事件は、そもそも政治資金規正法違反ではない、単なる捜査の“やり損ない”だったと思います。しかし、それでも、多少の批判はあっても、メディアは基本的に検察側についた。これは、検察にとって「うれしい誤算」だったのでしょう。

魚住)僕もかつて検察担当記者をやっていたから、記者の気持ちはある程度わかるんですが、“まっとうな感覚”というのは、検察担当の記者になった途端、ほとんど消えちゃうんですよね。
簡単に言うと、「ネタ」を取りたい、「特オチ(自社だけネタを落とすこと。特ダネの反意語)」は避けたいという気持ちで、ただひたすら当局からネタを取ることに全神経を集中させますから、ほかの神経はなくなってしまう。だから一般の人たちから見たら、非常におかしな論理がまかり通ってしまうのです。

郷原)例えば、産経新聞は、3月8日付紙面で「小沢氏、監督責任も」と報じました。法律上、政治団体代表者の責任は「選任及び監督」に過失がある場合で、会計責任者がダミーだった場合ぐらいしかありえないのに、「監督責任」だけで小沢氏を議員失職に追い込めるかのように報じている。しかも記事では、それを「捜査関係者」が言っていることになっている。

魚住) 基本的に各社が取材に行く検察幹部は、特捜部長、副部長、東京地検次席検事、検事正、高検検事長、高検次席検事、それから検事総長、次長検事といったところでしょうか。
 僕の経験からいえば、ある時はおしゃべりな上層部がいて、またある時はおしゃべりな現場の検事がいる。僕らは、そういうところを見つけて情報を取るのが仕事です。それで当局と互いに情報交換しながら、お互いの利益をはかる。その中で、検事と記者の一体感が生まれるのです。

郷原)今回、メディアは検察を抑制できなかったどころか、検察の意向に利用された面があるんじゃないでしょうか。
 大久保秘書の起訴を受けて、小沢代表が会見で改めて捜査の不当性を訴え、代表続投の意向を表明した直後の25日午前0時から翌朝にかけて、今度はNHKが「小沢代表秘書が虚偽記載を認める」という内容のニュースを流しました。これをきっかけに、多くの新聞、テレビが「大久保秘書が大筋で認める」などと続きましたが、27日、大久保秘書の弁護団はこの「自白」を真っ向から否定しています。しかし、こんな報道に接すればみんな、「秘書が認めているのに、なぜ小沢は辞めないのか」と思いますよね。

魚住)記者たちは、大事件が起きると毎日、続報を書かなくてはいけない。まさに正念場です。とにかく一歩でも半歩でもいいから他社に先駆けたいという気持ちなんです。
 そんな中、恐らく検察幹部が、「カネの出所は西松だと認める供述をした」とにおわすようなことを言ったんでしょう。当然、記者は「それは自白したってことじゃないですか」と食いつきます。それで各社のニュースになったんだと思います。

郷原)現場で取材している記者の心理からすると、そうなるんでしょうが、メディアとしては絶対にそうならないようにしないといけない話ですよね。目の前にエサをぶら下げられて、パッと食いつく(笑い)。それがそのまま記事になるんだったら、必ず意図的な形で誘導されるようなことが起きる。メディアには、それに対する抑制が働かないのでしょうか。

魚住)これは断言できますが、働きません(笑い)。メディア自体にそういうことをやるなと言っても無理な構造なんです。なぜならば、各社が競争をしているからです。その競争といったら、大変なものです。記者一人ひとりの人生がかかっている。特に検察庁といえば、社会部記者たちにとっては最大の主戦場なんですよ。そこで特オチを連発したら、その人はその後、事件記者としてもう浮かばれない。大変なプレッシャーの中で取材をしているのです。

郷原)それは特捜検察も同じ構造です。(笑い)
 初めて特捜部で勤務したときに、その評価がすべてを決めるんです。その後、特捜検事として何年か活躍して、検察の現場の中枢を上がっていけるかどうかが決まるのだから、本当にプレッシャーがかかってくる。
 その状態で、「お前、こういう調書をとってこい。調書に署名させてこい」などと言われれば、「被疑者、参考人が言っていることを調書の内容にする」という当然のことが、組織の論理の中で「悪いヤツをやっつけるんだから、それぐらいのことはやってもいいんだ」という考え方になる。そのために、無理な取り調べをすることになる。従軍記者としての司法記者とまったく同じなんですよ。

魚住)まったく同じ心境の人間が霞が関の一角で“共同作業”を繰り広げる。戦時中、軍部と記者が一体化し、戦線が拡大していったのと同じです。だから、何でもアリなんですよ。

郷原)結局、世の中はそれでまわってきたし、両方でやっているわけですから検察もメディアも批判を受けない。いままでは、それが続いてきたんですね。

魚住) 二階俊博経産相側についても、各紙が「今週にも立件へ」などと報じましたが、結局、まだ立件に至っていない。あの種の記事は“書き得”なんです。検察は「やらない」ということは公的に言いませんから、ずーっと後になってやらなかったことがわかる。でも、その時はもう忘れられているから、セーフなんですよ(笑い)。「あの時はそういう状態だった」という言い訳も立つ。ただ、今回の特徴は、そのマスコミが予測した捜査の動きよりも、はるかに実際の捜査が進まなかったということです。

郷原)報道の10分の1も進んでないでしょうね。

魚住)マスコミは先へ先へと書きますから、だいたいこういう傾向にはなりますが、報道と捜査の進展がこれだけ落差があるのは珍しい。(笑い)
 マスコミは「あっせん利得罪だ」「小沢代表までいく」「いや、次は二階経産相側だ」などと予測をし、それをにおわせる書き方をするわけですが、検察の捜査がそこまでいってない。今になってわかるのは、検察がずっとやっていたのは、小沢氏側の「悪性の証明」、つまり、政治資金規正法違反でなんとか公判維持するための材料集めで精いっぱいだった。

郷原) だから、私が大久保秘書の逮捕直後からずっと、そう言っていたじゃないですか。あっせん利得や談合による再逮捕はないと(笑い)。ところが、マスコミは「あっせん利得だ」と信じてね。胆沢ダム建設を巡る談合疑惑なども盛んに報道されましたが、ゼネコン間の談合があったとしても、3年以上前のことですべて時効です。
 小沢代表元秘書で民主党の石川知裕衆院議員も、参考人というだけなのに「事情聴取へ」と大きく報じられました。それに対して、同じく元秘書で、次期総選挙で岩手4区の小沢代表への「刺客」となる高橋嘉信元衆院議員の「聴取」は小さな記事で終わった。

魚住) 記事の扱いの大きさについては、「現議員」と「元議員」の違いがありますが、それ以上に影響していることがある。おそらく高橋氏が検察に協力的な立場なのに対し、石川議員は小沢氏側で、彼を聴取することは事件の“拡大”が見込まれる──ということです。検察が「石川をやるよ」などと言えば、パクッと食いつきますよ。検察としては、それで小沢陣営にダメージを与えることができるし、うまくすれば大久保秘書の自白、あるいは小沢辞任までいけるかもしれない。それは、検察とマスコミの利益が一緒になっているんです。

郷原) そもそも違反になるかということに加えて、問題は、この事件の処罰価値です。名義の問題はあっても寄付の事実自体は収支報告書に書かれているので、収入総額に偽りはない。これでやれるんだったら、検察がその気になればほとんどの政治家を摘発できます。

魚住) 今回の事件の最大のポイントは、やはり政治と司法のバランスが大きく損なわれたという点です。かつては検察全体に、議会制民主主義の根本的な仕組み、つまり、総選挙で民意を問うて政権が決まるシステムに下手に手を突っ込んではいけないという常識があった。今回の事件を聞いたとき、検察をある程度知っている人間だったら誰もが、「なんで上層部が止めなかったのか?」と思ったはずです。
 ところが、ブレーキはまったく利かなかった。これは恐ろしいことです。簡単に言うと、検察の承認なしには政権はできないということを、如実に示したわけです。

郷原) いままで日本の政治は、基本的に「55年体制」を引き継いでいて、自民党が政権を握っていることが前提のシステムでした。そこでの検察捜査は、言ってみれば「野党」の役割でした。「権力」に対する「反権力」ですね。だから、マスコミはその反権力を応援した。それに対して、政権側に配慮して、捜査を抑制してきたのが、検察上層部や法務省でした。
 しかし、今回の事件は違います。政権を取ろうとしている野党第1党の党首側の摘発というのは、本当の意味で政治権力のバランスの中に検察が手を突っ込むことです。それは、民主主義全体にとって大変危険なことです。ところが、その抑制機能が法務省・検察・メディアのいずれにも働かなかった。

魚住)冷戦崩壊以降、検察は何でもアリになってしまいました。ライブドア事件(06年)では、当時の松尾邦弘検事総長が「事前規制型社会」から「事後制裁型社会」への転換を打ち出した。つまり、市場は市場に任せるという従来の常識から、今後は積極的に摘発に乗り出すことを宣言したのです。そして、その言葉どおり、それまで手をつけてこなかった「市場」に介入した検察が、今度は露骨に政治に介入してきた。

郷原)私は、今回の検察の動きが意図的・計画的な政治介入だったとは思いません。むしろ、誤算や「読み違い」が重なって、「失敗捜査」をしてしまったのでしょう。しかし、それに対してメディアからの批判も少なく、社会からそれほど批判されなかったということになると、それが「けがの功名」になって、今後は、意図的にこうした捜査が行われる危険すらあります。

魚住)まさに、02年に検察の裏金問題を暴露する直前に逮捕された三井環・元大阪高検公安部長の事件の「教訓」ですね。あんなに明白な“口封じ”だったのに、ほとんどの大手マスコミは何もできなかった。あのとき検察とメディアが一体化する構造がどんなに恐ろしいかは、強く感じました。メディアが検察を追認するやり方は、残念ながら、そのまま変わっていません。この「負の慣習」は、変えていかなければいけません。

<構成 週刊朝日編集部・鈴木 毅>
 

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